ペンリレー
秋田と平成3年の台風19号について
ほいずみ内科クリニック 保泉 学

今回、所属医局の上司であった、あきた東内科クリニックの成田琢磨先生よりバトンをいただきました。2021年に医師会に入会したばかりの時期に一度、自己紹介の内容で拙文を書いて以来になります。2024年初頭の県医師会の新春随想号に2023年7月の大雨洪水災害の体験を書きましたが、以前より、気象現象として台風に関心があり、台風シーズンでもありますので、このテーマで書くことにいたします。
台風は北西太平洋(東経180度以西、赤道以北の太平洋)および南シナ海で発生する強い熱帯低気圧ですが、この海域の熱帯低気圧の下層中心付近の最大風速(10分間の平均風速の最大値)が秒速17m以上に達したものを台風と定義しています。気象庁の統計によると、1951年以来では、年間に発生する個数が14~39個です。発生した順に1号、2号・・・と番号が付けられます。その中で日本に接近(台風の中心が国内のいずれかの気象官署等から300km以内に入った場合)あるいは上陸(台風の中心が北海道、本州、四国、九州の海岸線に達した場合であり、沖縄やその他の島、半島を通過する場合は上陸とはみなされません)するものは4~19個です。台風は海上の水蒸気をエネルギー源としてコリオリの力を受けて発達しますが、日本付近は南海上に比べて海水温が低いため、水蒸気からのエネルギー補給が乏しくなること、陸地との摩擦が生じること、上空からの寒気や乾燥した空気の流入や鉛直シア(大気中で風速や風向が鉛直方向に変化する現象)によって暖気核が弱まることによって衰弱し、日本に接近・上陸する頃には最盛期の勢力よりはランクダウンしていることが一般的です。それでも、台風本体の雨雲による暴風雨や満潮と重なる高潮、暖かく湿った空気を送り込んで前線を刺激することによる二次的な大雨、中心から離れていてもスーパーセル積乱雲(非常に激しい気象現象を引き起こす超巨大積乱雲)に伴う竜巻の発生などで毎年のように各地で大きな被害が出ています。一方で少雨により渇水が深刻な年に恵みの雨をもたらすこともあります。
秋田は日本の中でも緯度が高いことから、幸いにして、台風の接近が少ない地域の一つであり、接近したとしても勢力が衰えた状態で通過することがほとんどです。そのため、風水害から免れて台風シーズンを終えることが多いです。私は生まれてからずっと秋田に住んでいますが、秋田に接近した台風は幾つか記憶に残っているものはあるものの、一つを除いて恐怖を感じることはありませんでした。むしろ、10月~3月を中心に発生する爆弾低気圧(急速に発達し、台風並みの暴風雨、または暴風雪をもたらす温帯低気圧)による暴風の方がしばしば恐怖を感じます。それでは、唯一、恐怖を感じた台風は何かと言うと、平成3年の台風19号(国際名:ミレイユ/Mireille)であり、私の経験した台風の中で突出して強力でありました。東北地方では、通称「りんご台風」と呼ばれます。この台風を以下、199119号と略しますが、私が小学3年の秋(9月25~28日)に日本に接近・上陸し、雨による被害が目立たなかった反面、風による被害が甚大な典型的な「風台風」であり、その暴風は凄まじかったです。当時、下新城中野の自宅にいましたが、家が壊れてしまうのではないかと恐怖を感じました。近所でトタンの屋根が剥がれ、散乱した樹木の破片、ゴミなどが自宅の敷地内に大量に飛ばされてくるのを目にしました。不要不急の外出は控えるべき状況でしたが、暴風が吹き荒れている最中に、父が勤務していた秋田市上新城の駐在所から、母が車で下新城中野の家に向かう際、駐在所の周囲は風を遮蔽する建造物などが少ないこともあって、暴風をもろに受けて、車に乗り込むのもやっとであり、持っていた麦わら帽子がどこかに飛ばされてしまったそうです。また、命がけの運転の道中、下新城岩城の付近で大きな木が根こそぎ倒れているのを目にしたそうです。私は、自宅が停電していたので、ラジオで台風の実況に聞き入っており、これが台風のスタンダードなのかと思いましたが、後になってこの台風は異例な強さを維持していたと分かりました。
199119号は、マーシャル諸島の西海上で発生し、フィリピンの東海上にいた時に最盛期を迎え、その時の中心気圧は925hPa、中心付近の最大風速は秒速50mであり、「大型」で「非常に強い」台風に分類されましたが、毎年この規模にまで発達する台風は何個も発生しており、最盛期の勢力については、突出して強いものではありませんでした。気象庁が階級分けしている熱帯低気圧の強風域(平均風速が秒速15m以上の風が吹いているか、地形の影響などがない場合に、吹く可能性のある領域を円で示したもの)の広さと中心付近の最大風速によると、「超大型」で「猛烈な」台風が最強ということになります(ただし、超大型の台風は気圧傾度が緩やかなので、必ずしも全域が荒天になるわけではないようです)が、199119号は強風域の大きさおよび最大風速のいずれもワンランク下の階級になります。199119号は沖縄付近を通過した後、東シナ海を北東進し、長崎県佐世保市に上陸しましたが、上陸時の中心気圧は940hPa、中心付近の最大風速は秒速50mであり、最盛期と比べて中心気圧がわずか15hPa上昇した程度で最大風速は最盛期と同程度の「大型」で「非常に強い」勢力を維持していました。九州上陸後は福岡市上空を通過し、山口県をかすめて、短時間で海上に出て偏西風に乗り、時速100km近くまで加速しながら日本海を北東進し、秋田に最接近した時点で中心気圧は950hPaとほとんど衰えず、北海道の渡島半島に再上陸しました。再上陸時の中心気圧は955hPa、中心付近の最大風速は秒速40mと「大型」で「強い」勢力であり、北海道に上陸した台風としても異例の強さでした。その後は急速に衰えながら札幌上空を通過し、オホーツク海に抜けて千島近海で温帯低気圧に変わり、アリューシャン列島方面へ向かいました。寿命は12日6時間でした。台風の進行方向の右側の危険半円(台風の右側は台風自身の風に台風の移動速度が加えられ、風が強くなります)に入った秋田を含む広範な地域が暴風に晒され、各地で最大風速および最大瞬間風速の極値を記録し、甚大な風害が出ました。広島などの瀬戸内海沿岸地域では、著明な高潮被害や塩害も出てしまいました。りんごの名前が付いている通り、青森県の収穫前のりんごが暴風のために大量に落下してしまったのは有名ですが、愛媛県の温州みかんも塩害により多数枯死し、農林水産業への被害は甚大でした。秋田市は最大瞬間風速が秒速51.4mを記録し、30年以上経った現在もこの記録に肉薄する風速は出ていません。ちなみに1954年に洞爺丸台風が接近したときは最大瞬間風速が秒速42.7mであり、199119号がこの記録を大きく更新しました。暴風域(強風域の内側で秒速25m以上の風が吹いているか、地形の影響などがない場合に吹く可能性のある領域を円で示したもの)は日本列島のほぼ全域を巻き込むほど広く、日本に接近・上陸した台風の中では史上最大でありました。
気象の専門家ではない私見ではありますが、199119号の勢力が北海道上陸まであまり衰えなかった理由は、佐世保に上陸するまでの海水温が例年の同時期より高かったこと、陸上にいる時間が短く、摩擦の影響が最小限であったこと、上陸してから眼が不明瞭になりましたが、偏西風に乗って海水温が低い日本海を猛スピードで北東進し、衰弱しきる前に北海道に達したからだと考えています。洞爺丸台風や平成16年の台風18号が199119号と似たコースを辿った「風台風」でしたが、199119号は、温帯低気圧の性質を帯びながらも日本海で再発達はしなかった一方、これらの台風は温帯低気圧の性質を帯びながら日本海北部で再発達し、北海道に特に大きな被害が出てしまったという違いがあります。
地球温暖化により、台風の強大化が懸念されていますが、199119号のような「風台風」や秋田では経験がほとんどない「雨台風」が襲来した場合に備えて、日々の防災対策は欠かせません。
次のペンリレーは、高校と大学の同級生であり、同じ山王・八橋班でもお世話になっている、ゆうきクリニックの下田勇輝先生にお願いしてあります。