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<春夏秋冬>

発行日2005/08/10
鹿嶋医院  鹿嶋 雄治
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司馬遼太郎のエネルギー
 
 長年読みたいと思っていた司馬遼太郎の「坂の上の雲」をこの冬から春にかけてようやく読了しました。この小説は、三百年近く続いた幕藩体制の終焉にはじまる明治維新以降、日本が近代化していく過程を日露戦争を軸として描いたもので、出版以来日本におけるロングセラーであり、医報の読者も多くの方がすでに読まれたことと思います。昭和の高度成長期の始まりに生まれた私にとってこの物語の醍醐味は、明治維新後、極東の小国である日本が、中国大陸や朝鮮半島で勢力を拡大していた欧米列強、とくに大国ロシアによって植民地化されるのではないかという強い懸念を背景に、欧米の近代的な軍事上の戦略、技術を短期間で吸収していく明治時代の日本人の途轍もないエネルギーを描いている点と、政府自体が勝てるとは考えていなかった日露戦争に勝利したために、戦後、とくに陸軍において軍事作戦遂行上の多くの失敗を顧みる雰囲気がなく、そのことが太平洋戦争での日本軍暴走の底流となったという点を鋭く描いていることにあります。
 司馬遼太郎はこの小説を昭和四十年代の四年間、新聞の連載小説として執筆、その後単行本として出版しています。あとがきを読むと、彼がこの小説を書くために四十歳代のほとんどを費やしており、膨大な資料を収集、分析し、小説の基礎となる史実に誤りがあっては、小説の価値自体が皆無になってしまうという切迫感をもって過ごしたとあります。「ある運命について」のなかで、「何かを見たいというのが創作の唯一の動機かもしれない」と彼は書いています。我々が身を置く生命科学の分野でも、ひとつのテーマを長年にわたって研究し業績を残すという点で共通するものはありますが、彼が生涯で執筆のために調べた資料の密度は、おそらく生命科学の研究などはとうてい足元にも及ばないものであったと思われます。この小説に限らず、彼の書を読むたびにその膨大なる知識と深い洞察力に驚くばかりですが、その根底にある「何かを見たい」というエネルギーの根源は、歴史を考察することで日本人ひいては日本という国家の本質を解き明かしたいということにあったのではないでしょうか。
 戦後六十年を経てなお、近隣国との間で「歴史認識」が問題になっています。国家が考える歴史と個人が認識する歴史には当然のように乖離があり、とくに国家というものは多分に恣意的な側面を併せ持つものです。一方で、信念をもった個人や経済的観点、支持団体の意向などそれぞれの立場で物を言える社会もある意味で健全ではあるのでしょうが、そこには人間のもつ浅薄さが、膿性の滲出液のように滲みでているようにも思えてしまいます。お盆を前に、「明治という国家」のなかの次の一文を、かつての大戦のすべての犠牲者と近隣国の方々にお伝えします。
 「イデオロギーにおける正義にはその中心の核に絶対のうそがある」
 
 春夏秋冬 <司馬遼太郎のエネルギー> から