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<春夏秋冬>

発行日2004/10/10
平野いたみのクリニック  平野 勝介
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台風15号
 
 職場からの帰路スモールライトを灯けるようになって立秋を実感しますが、この頃になると私は急に寂しくなります。夏が好きで、暑いのが大好きなのでクーラーは大嫌い、冬の自宅の定位置はストーブ前30cmで、猫舌であることを除けば一応筋は通っています。しかしもっとましな理由を考えてみると、それは秋が好きになれないからなのです。この原因はどうも半世紀近く前の小学生の頃の夏休みに辿り着くのです。出身地である三重県の夏休みは37日間もあったわけで、小学生の心にこの休みは未来永劫続くかの錯覚を懲りもせず毎年の様に起こさせます。休みが始まれば全ての物が輝き、普段は学校に行くのが憂鬱な朝が熊蝉の声に起こされ喜々としてラジオ体操に出掛けて行く。この習性は夏になると早起きになる今へ受げ継がれている。しかし日が短くなったことに気付いた時、夏が後片付けを始めたと知るのである。夏休み終盤の落ち込みは毎年繰り返され、これが心の傷となり秋が嫌いになった事は疑う余地はない。いつも夏の余韻を至る所に求めて、気を紛らわせながら秋を過ごしているのが、今年は台風15号が塩害を起こし街路樹を茶色に変えてしまい、夏が終わっていないのに一夜にして秋の景色になってしまったのです。悲嘆に暮れていた時ふと思い出したのは、昭和34年9月26日の伊勢湾台風も台風15号だったのです。(ちなみに昭和29年9月13日の洞爺丸台風も台風15号です。)その時私は小学4年生、その日は土曜日のため半ドンで、12時頃の下校時は無風で曇り、異様な静けさでした。これが本当の嵐の前の静けさと分かったのは後の事です。夕方近くになって風が吹き始め、夜にはいり風雨は強まりすぐに停電。父は帰って来れず、家には母と祖母、弟の4人のみ。暗闇の中、不気味な風の音に包まれて眠れなかった。不思議と弟は翌朝まで熟唾していた。風雨は更に強まり家が軋みをあげ、屋根裏で鈍い音がした。様子を見に行った母が家の一画の雨戸が全て吹き飛ばされていると駆け込んで来た。弟を除く3人で風呂の流し場の汚い板や畳でガラス戸を押さえた。風に押されてガラスがしなる感じを受けた。割れたら家が壊れ、その時は死ぬかも知れない。長い時間底知れぬ恐怖と緊張で一度廊下に嘔吐した。深夜12時頃か、少し風が収まり布団に戻った瞬間深く入眠した。翌朝は見事な秋晴れだったが、風の夜にうなり声で私をこわがらせた庭の大きな樹木はほとんど倒れていた。小学校の講堂の天井は全て剥がれ落ちており、ここに避難していたら大変だった。死者が5000人を越えたとはしばらく後で知ったのです。停電は1ヵ月位続いたと記憶しているが、こんな被害が今起きればレセコンは動かないし、農作物は別として葉っぱが茶色に変色したと嘆いてなどいられないのです。
 
 春夏秋冬 <台風15号> から