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<春夏秋冬>

発行日2002/12/10
土崎病院  阿部二郎
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我が家のシェリー
 
 平成5年春に秋田に来るまでは、新潟市南笹口の賃貸マンションに暮らしていました。100戸を越える大きなマンションの一階でささやかな庭つきの部屋でしたが、お決まりどおりペットは飼えませんでした。幼稚園に通っていた娘はどうしても犬が飼いたくて、時々かんしゃくを起こしてなだめるのに苦労した思いがあります。ですから、秋田では借家に住むことにして、早々子犬を飼うことになりました。(実は秋田に来たくない子供達をなだめるのに犬が登場した訳ですが)
 桜の時期に合わせて、シェリーという名前をつけました。生まれたばかりの雌のゴールデンレトリバーです。ぬいぐるみみたいにかわいくて、始めはリモコンで動くおもちゃのように思っていましたが、2週間位すると、家の中は嵐が通った跡のように毎日無残な光景となってしまいました。靴は咬みちぎる、椅子の脚はかじる、絨毯はぽろぽろ、襖は穴だらけ、失禁(表現は適切ではないですが)はいたる所、ごみ箱は無残に空っぽで床中ごみだらけ、電化製品のコードは咬みちぎる、ティシュの箱は空っぽになりトイレットペーパーで鼻をかんだこともありました。このままでは、家が壊れると思った一家4人は、一致団結してシェリーの躾を始めることになりました。
 情けないかな、ハウ・ツー本を頼っての実行となりました。優しい躾は子育てで失敗しているのを忘れて本に頼った私が馬鹿だったのか、それとも血統書つきのシェリーの方が上手だったのか、家の中の被害は以前にも増して凄まじくなり、4人は生活の場所を2階とし、1階は体力勝負の格闘技場と化し、追いかけて捕まえては首根っこを押さえて叱る、吠えるので叱るとうなりだすといった具合でした。散歩は毎日欠かさず行っていましたが、突然走り始めたと思ったら、今度はテコでも動かない状態で、散歩の途中で叱るさまは動物虐待で通報されかねないからと妻にたしなめられることもありました。血統書にはアマゾンという血筋と書いており、女アマゾンにはかなわないと、とうとう白旗を挙げた私でした。
 結局、プロに頼ることになり、椿台カントリーの近くの警察犬学校に毎週毎週、シェリーと一緒に通学することになりました。大きなシェパードが群がる中で生後半年のシェリーは始めは愛嬌を振り撒き走り回っていましたが、大人の犬はおよそ興味も示さずもくもくと訓練に励む環境の中で、シェリーにも変化が現れました。半年位で「まて」「ふせ」「いけない」の三つの指示を会得したシェリーは仮免許をもらい卒業となりました∬度そのころ我が家の引っ越しと重なり、八橋から高清水へ越して来ました。護国神社周辺を散歩するのが日課となり、三つの言葉を会得したシェリーは外国犬の美しい容姿と足取りでようやく私たちに秋田の美しい自然を楽しみながらの散歩をプレゼントしてくれました。新築した家の中でもそそうすることなく、靴を咬みちぎることもなく、番犬らしく玄関のチャイムに併せてワンワンと吠えるのも近所で有名になり、宅配便会社の間でもあそこは犬が吠えながら玄関にいるので気を付けた方がいいなどと噂になりました。
 私達を家族と認識できたのか、八橋が嫌いだったのか、彼女は教えてくれませんでしたが、高清水に来てからは、二人の娘に負けずにその甘えかたに三女ぶりを発揮して、ササミジャーキーや大好きな肉の缶詰をデットしていました。また、ボール投げが大好きでテニスボールや野球の軟式ボールを遠くに投げると喜んでくわえて走って戻ってくるさまは、レトリバーと言う名に恥じない姿でした。
 そんなシェリーが今年の10月に急に元気が無くなり、ごはんがとれなくなった四日目にあっという間に死んでしまいました。毎日獣医さんへ通院しましたが、私の予想どおり胸水が溜まっているとの事でした。あまりに早い死をシェリーが迎えたので、家族は唖然としましたが、良く良く考えて見るとこの四日間がシェリーにとって苦しくとも幸せだったように思われます。
 お骨となったシェリーはまだ居間の片隅に「ふせ」をしていますが、とても大切な事を家族に残してくれました。家族に見守られて、自然に逆らわずに死を迎える事、そして沢山の思い出を残してくれたことです。そして、二人の娘が早起きして家内の手伝いをするようになりました。数日前に娘達に、そのうちまた犬を飼いたいか聞いてみましたが、シェリーに聞くことができないので分からない、との返事でした。
 
 春夏秋冬 <我が家のシェリー> から