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<春夏秋冬>

発行日2002/01/10
福島内科医院  福島幸隆
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自分自身のルーツ
 
 明けましておめでとうございます。21世紀が始まって2年目となりました。昨年は米国中枢同時テロにより、また新たな戦争が始まり、これでは20世紀と大して変わらないのではないかとやや失望させられました。
 日本では不況がより深刻化し、我々にとっても今年4月からの診療報酬改定では引き下げ率が過去最大の2.7%で、しかも本体は初めて1.3%のマイナス改定となりました。「医師だけ優遇」に強い批判(マスコミによる)があってのことのようですが、どうしてこういう数字に集約されたのか、日医に情報公開して欲しいところです。
 秋田県も不況の波に飲み込まれていますが、昨年ワールドゲームズ大会を成功させ、県民の底力を見た思いがしました。今年はまた、佐竹氏秋田入部400年に当たる年でもあります。
 私は近頃自分という人間の性格はどうして形成されてきたのか、気になってきました。以前は、単純に両親の性格と生活環境によって形成されてきたと考えていました。しかし、最近は県民性や私の知らない福島家の血脈もわずかですが、心の深層で影響しているのかと思えて来ました。秋田の県民性は勇敢で忠実、冒険心に富む(県民性の日本地図、文春新書)とあります。秋田の厳しい自然が、人々に家族や地域のつながりを重んじる生き方をとらせたからというのが、その理由のようです。一方、私の生誕地である福島県は頑固で探求心が強い(特に会津地方)。しかし、全国的にみると、秋田(東北北部型)も福島(東北南部・北関東型)も気候、風土からみると粘りづよさ、堅実さといった共通の資質があるようです。
 清和源氏の流れを汲む佐竹氏は鎌倉時代にすでに常陸一国支配を完成させ、江戸期の大名で源頼朝以来の大名といえば、島津氏と佐竹氏のみです。その佐竹氏が徳川家康により改易された時、弟の岩城貞隆(平12万石)も連れて来ました。また、最後の藩主の義尭は相馬氏の出自です。一方、長く秋田を支配していた安東氏(約16万石)は常陸の宍戸へ5万石で転封となり、秋田氏を名乗るようになり、1645年には福島県三春へ国替えとなりました(「湊家の秘密」より)。歴史的にみて、秋田・茨城・福島は関連深い地域であることが分かります。
 秋田市には江戸時代から続く医家に、安東家旧臣の湊家があります。連綿と400年もの長きにわたり医家の家系を保つということは、それなりの工夫や家訓があってのことだろうと思われます。湊家の歴史を紹介することにより、我々が選択した職業を改めて考える契機としたいと考え、特集記事「湊家の秘密」を掲載する企画を立てました。しかし、諸般の事情により中止の已むなきに至りました。骨格となる原稿が出来上がっていただけに、残念です。秋田在住の医師の「あす」を考えるには、まず郷土の医家の歴史を見つめ直すことが第一歩になると思います。また、自分自身のルーツを探るには、NHK大河ドラマのような歴史ばかりでなく、郷土の歴史にこそ目を向けていく必要があるのではないかと考えながら、新年を迎えました。
 
 春夏秋冬 <自分自身のルーツ> から