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<春夏秋冬>

発行日2020/09/10
秋田赤十字病院  下田 直威
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夏の思い出
 
  書いている今は8月11日。全国的にも今年の最高気温を記録した所が多く、エアコンを使わない我が家は熱帯のようである。夏真っ盛りは日本人にとってはバカンスというより、甲子園、祭り、お盆、終戦記念日などと思う事が多い季節である。
 小学生時代(昭和40年代)の夏といえば、ラジオ体操、宿題、プール、入道雲といったイメージ。どこに出かけたわけでもなかったが、周囲(秋田市割山地区)にはまだまだジブリ的風物が残っており、「日本の少年」ができたように思う。
  中学3年(昭和51年)、野球部。中体連の直前に風疹に罹ってしまい、中学最後の試合でベンチ。情けなく悲しい夏の思い出(並木先生は覚えておいでか)。
 高校2年(昭和53年)の夏休み。夏期講習を受けねばと焦り、お茶の水のS予備校に行くことに。寝台列車「あけぼの」で上野に着いて、本郷の旅館までたいした距離ではないと地図を見誤り、暑い中を重い荷物を引きながら歩いた。早速、在京の二人の兄に連れていかれた吉祥寺の居酒屋で飲み放題コース。未成年ながらビールをジョッキ何杯も飲み(いけませんネ)、翌日予備校のトイレで掃除のおばさんに御迷惑。ぎゅうぎゅう詰めの教室での講義はとても馴染めず、結局講習は適当にして、東京観光にシフト。不忍の池で黄昏ながら、頭の中に stray sheep, stray sheep、漱石「三四郎」の一節。多感な頃、まさに迷える羊だった。
  そんな高校時代、経済的にも旅行などそうそうできなかったせいか「旅」に憧れた。クラスメートから借りた原付がきっかけでバイクの魅力にとりつかれ、夢は「バイクでの旅」となった。大学入学とともに自動二輪免許をとり、バイクは入手したものの、なかなか「旅」はできなかったが、大学4年(昭和58年)の夏休みに至って、友人と北海道一周ツーリングに出かけることができた。キャンプしたり、駅の待合所で寝たり、各地から来たライダーと知り合ったり、青春した夏だった。
 昭和61年に医師となってからは、働き方改革の今と違ってなかなかまとまった夏休みはとれず、結婚して子供ができるころ(平成年代)には、夏休みもとれるようになったが、家族でのキャンプがメイン。それも楽しいが、準備や片付けで疲れたり蚊に刺されたりで、結構大変なものだ。行先も北は礼文島、南は西表島まで行ったが、せっかくだからとプランを詰め込む習性があり、カヌーに乗ったり、沢下りしたりとやたらにアスレティックで、ゆったりできた思い出がない。
  さて、今年の夏はコロナ禍の中、Go Toキャンペーンなど感染対策を十分にしてぼちぼち旅行も楽しんで下さいとのことだが、閉じこもり生活が何となく身についてしまい、旅行・観光業界の方には大変申し訳ないことだが、まだどこにも行く予定がない。日本の経済のためにも三密を避けてゆったりできる穴場はないものかと探している。
 
 春夏秋冬 <夏の思い出> から