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<春夏秋冬>

発行日2019/02/10
平野いたみのクリニック  平野 勝介
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日射病
 
  「運動会に毛の生えた・・・」との体育委員の言葉で同じ全学陸上部で一期下のK先生と二人で私が3年生の時に医学部陸上部を立ち上げた。当時の東医体・陸上競技は7月末で、男鹿駅伝が終わってから僅か3週間だけの活動である。簡単に優勝できるほど甘くはなかった。5年生の時は5000m一本に絞ったのが裏目に出て、気持ちがダレて大失敗した経験から最後の6年生は1500mと5000mにエントリーした。
  1975年7月31日と記憶しているが、長野県松本市が会場で、前日からすでに暑かった。ほぼ日陰の無い競技場で、その日1500m予選 決勝、5000m決勝を走った。猛烈な暑さだった記憶は、やっと優勝出来た5000mで、走っていて足の裏の熱さにはっきりと残っている。当時の気温を探してみた。松本市は無かったので、隣の長野市を調べると最高気温は34.5℃で、前日も同じ気温が記録されている。この炎天下で誰も倒れなかった。
  昨年の猛暑は全国で「災害級」と表されて熊谷市では史上最高の41.1℃を記録した。秋田県では由利本荘市やにかほ市などで37℃以上を横手市では38.6℃と観測史上最高を記録した。また7月の秋田市の真夏日(30℃以上)は15日もあった。50年以上前、小学校の夏休みの宿題に毎年、天気と気温を付ける日記があった。最初だけは真面目に付けるが、お盆に従兄達が来て遊ぶ頃には、すっかり忘れてしまい、夏休みの終わりに毎年半泣きになる奴である。その時の気温は、廊下のいい加減な温度計で計ったものだが、晴れの日は常に35℃以上だったし、37℃以上を付けた記憶もある。三重県の記録が無いので、1961年(私が小学5年生)の名古屋市の7月の記録を調べてみた。35℃以上の猛暑日は10日あり、真夏日(30℃以上)に至っては27日を数え、さらに過去には40℃以上を記録した地方も見られるのである。私の記憶通り、昔も暑かったのである。当時は熱中症のなかで日射病が問題とされ、夏休みの注意事項として、外出は帽子をかぶること、午後は1時間以上の昼寝をすること、の2点だけであった。しかも当時はクーラーなどなく、扇風機ですら小学4年生頃にやっと買ったころである。9月の始業式には、たまに溺れて死んだ子はいたが、日射病で倒れた子は誰もいない。熱中症の言葉も知らない。長寿社会で高齢者の熱中症は理解できる。また都市部ではヒートアイランド現象で実際の気温より高く、小中学校の運動会や体育の授業で熱中症が多発しているのだろう。適切なクーラーの使用を勧めるのも良く分かる。しかし例えば昨年の秋田市の気温は50年以上前の名古屋市とあまり変わらない。熱中症の多発は温暖化の他、何故かヒトが弱くなってしまった様な気がする。教室にクーラーなど必要なのだろうか。
 
 春夏秋冬 <日射病> から