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<春夏秋冬>

発行日2014/05/10
お肌のクリニック  豊田 知子
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鉄子の誓い
 
 本年3月14日に寝台特急あけぼのはその役目を終えた。プチ鉄子の私は同じく九州出身で鉄子の友人といつか2人で乗ろうねと約束していたが叶わなかった。
 ホンモノの鉄子ほどの知識と意欲がないのでプチ鉄子。サブタイプは乗り鉄、少し撮り鉄。幼少期は路面電車のある街で育ち、電車は「汽車」、路面電車は「電車」。それがケンミン性であったのに、大学時代にある秋田出身の男性に「田舎者」と笑われ、矯正させられた苦い思い出あり。そんな私が鉄っ気を帯びてきたのは福岡に住んでいた研修医時代。週に1回の北九州でのアルバイト通勤の為オレンジカードを購入したのがきっかけである。カードには青いソニックにちりんの写真がついていた。鉄人28号を思わせる風貌が当時としては斬新であった。その振り子式車両は博多‐長崎間の白いかもめ(通常は赤)にも導入され、実家に帰るときには白車両を指定して乗車するようになった。とにかく出張の際、時間の許す限り鉄道が通っている所では基本的に全てJRや私鉄を利用した。最も記憶にあるのは篠栗線、筑豊本線(現在は福北ゆたか線)の赤い快速である。今は電化されているらしいが当時はディーゼルで何とも風情があり、週1回炭鉱の町飯塚にのんびり行くのが心休まる時だった。『九州一長い篠栗トンネルを抜けるとそこは雪国だった』という事があり、妙に感動したのを覚えている。
 しかし子供の誕生とともに車生活となり電車熱も急速に冷めていった。数年後、長男が機関車トーマスとプラレールに夢中になり、次男がやたらと日本中の電車の名前を覚え始めた。それをきっかけに電車熱が再燃、第2次プチ鉄子時代を迎えた。子供と一緒に普段は見られない各種特急列車の写真撮影の為、電車図鑑を片手に東京駅や地方の駅へ行った。猛暑の中幼子をおんぶして、宮城県利府町の車両基地にも行った。富士吉田のトーマスランドにも神田の交通博物館にもいった。それも束の間。子供達は成長とともにご多分に漏れず戦隊モノとゲームに興味を奪われ、すっかり電車の記憶も消失。
 そして今、第3次プチ鉄子時代。昨年台湾の高雄へ行く機会があった。直行便もあるがあえて台北まで空路で行き、台北から台湾高速鉄道(日本の700系がベース)を利用した。先日の鹿児島出張もわざわざ福岡から九州新幹線800系さくらに乗り換えて行ってきた。
 あけぼのには乗り損なったが、友人鉄子とクルーズトレインななつ星in九州で豪華な旅をしようと約束した。しかし申し込みは抽選で、前回募集の最高倍率は195倍!来月の第5期募集への応募はすることにしたが、とりあえずお互い積立貯金に全身全霊をかけることを固く誓った。長い道のりになりそうである。

 
 春夏秋冬 <鉄子の誓い> から