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<春夏秋冬>

発行日2012/05/10
みなみ整形外科クリニック  三浦 由太
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齢五十
 
 五十歳を過ぎて、ときどき同級生の死亡通知を受けとるようになった。学生時代の公衆衛生学の教科書を引っ張り出してみると、日本人男性の平均寿命が六十歳を超えたのは昭和二十六年である。医学の進歩はすごいもので、今では「人生七十古来稀なり」と言われた古稀を超えるのがちっとも稀でなくなってしまったが、明治から昭和戦前期まで長いこと「人生五十年」の時代が続いていて、日本人はそれが当たり前と思っていたのである。五十歳を過ぎれば死亡通知を受けとったとしてもたじろぐ必要はないはずである。
 だが、いくら「人生五十年」が当たり前なのだと思い込もうとしても、若かりし時代を共に過ごした友人を失うのはつらいものである。学生時代を思い出すと、人生で一番楽しい時代だったと思う。現実離れしたことで徹夜で議論し、とるにたりないことで激しく悩みもしたが、なんの責任も感じることなく自由を謳歌し、よく飲んで、ばかをやり、クラブの合宿では死にそうになるまで稽古をしても一晩寝るとまた稽古ができた。まさに私にとって青春のアルト・ハイデルベルヒだった。
 そのころ、私は五十歳になった自分を想像することができなかった。腹の突き出た中年男性を見れば「よく生きてやがるな」と思った。いつまでも続くように思っていた夢のような日々は須臾(しゅゆ)にして飛び去り、学生時代の友人とはいつか別れて、人は社会に船出させられて、重荷を背負って長い道を歩まねばならぬ。願いがかなわぬことはしばしばあるが、願わぬことはかなうものと見えて、五十歳になりたいと願ったことは一度もないのに、いつの間にか私は三十歳になり、四十歳になり、五十歳になって、気がつくと腹の突き出た中年男になっていた。あと数年もすると還暦である。
 たまの同級会に出ると、一晩だけ学生時代に戻って痛飲するが、これからあいつは永遠に欠席なのだ。夢に出てくるあいつは今でも若いままで、「なんだ、死んだと聞いたけど、やっぱり間違いだったのか」と声をかけると、「うん、家族が早とちりして死亡通知なんか出してしまったが、今はいい薬ができたんだよ」と笑って答える。目を覚まして、あいつはもういないという現実をかみしめると、胸の中をさみしい木枯らしが吹き抜けていく。
 たぶん、六十歳を過ぎても、七十歳になっても、同級生の死亡通知はつらいものなのだろう。だんだん若いころの知り合いが少なくなり、いつか自分も鬼籍に入るのだろうが、できるだけ大勢の友人たちと残りの人生を楽しみたいものである。
 
 春夏秋冬 <齢五十> から