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<春夏秋冬>

発行日2011/11/10
平野いたみのクリニック  平野 勝介
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Always
 
 よほど暇だったのか、学生時代はよく映画を見に行った。中学、高校時代も試験が終わった時によく見に行った。そう言えば浪人時代も授業をサボリ、親に内緒の映画も見た。大学卒業後は映画を見た記憶がない。大学を卒業し、そして結婚をして子供も出来、振り向くこともしない全く余裕のない人生を歩んで来たのだろう。娯楽がなかった子供の頃、両親によく映画に連れて行ってもらい、帰りに昼ご飯を食べるのがいつもの楽しみだった。最近、昔を振り返るとよくその頃を思い出し、それでこの映画を見たくなったのか、5~6年前久しぶりに映画を見に行った。昭和30年代前半の東京を、下町で生きる人たちを通して描いたこの映画には、その頃の人と人との結びつきや温かさが描かれていた。私の中学修学旅行は東京と日光だった。日本で初めて原子力発電が始まった昭和38年頃である。白黒写真の様に記憶する古き良き東京が、この映画のCD技術によりみごとにカラーで再現されていた。当時の記憶と重なり、思わずこの映画に涙を流した。映画で泣いたのは、子供の頃に見た滝廉太郎の「荒城の月」以来である。
 当時クーラーはなく、夏はみんな真黒になり外で遊んだ。先生からの日射病(熱中症)予防の注意は、いつも昼寝と帽子と決まっていた。それでも実際に倒れた奴の話は聞いたことがない。冬は火鉢だけで、めったに風邪もひかなかった。今の様な豊富に食べ物もなく、あるものは全て食べた。それでもみんな元気だった。当時の三種の神器は、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫で、やっと買ってもらったテレビは、夜の12時前後に終わり、午後は夕方までテストパターンで、それまでの生活を乱すこともなく、ダイエットや美白など、間抜けな宣伝もなかった。冷蔵庫の氷は最初の頃のみ感激した。洗濯機には感激しなかった。
 昨年(平成22年)12月8日に東芝の四日市工場で停電発生のニュースが新聞の片隅に小さく載った。私の実家近くの工場だったので目に留まった。
 NANDフラッシュメモリーなるものを生産していて、被害は200億円程度になる見通しで、中部電力が賠償を検討していると言う記事だった。今も印象に残っている理由は、停電時間が僅か0.07秒だったからである。
 本年3月11日に未曾有の大震災により福島原発で事故が起きた。それにより原発反対の機運が一気に高まり、風力発電や太陽光発電などのクリーンエネルギーが脚光を浴び始めたが、工業立国を維持するには余りに心もとない。あのalwaysの世界に戻るのは、私にはうれしい話だが、未来の子供たちのためなどと言うのなら、簡単に結論を出す問題ではないと思う。1000年に一度の大震災が50年早ければ、原発の安全性に対する考え方は変わっていただろう。逆に50年遅ければ、間違いなく我々は幸せな世代だった。
 
 春夏秋冬 <Always> から