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<春夏秋冬>

発行日2010/09/10
平野いたみのクリニック  平野 勝介
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残暑
 
 もう35年前の話だが、大学6年の東医体は長野県の松本だった。学生時代の最後にやっと優勝した陸上競技5000mはレース中、足の裏の熱さが印象に残るほど暑い夏だった。翌日、松本城へ行き、天守閣のあの場所に腰を下ろしてみた。ここには浪人中だった6年前の暑かった夏と同じ心地良い風が流れていた。何を話していたのか全く思い出せず、目を閉じて想ううち、いつの間にか軽い眠りに入った。
受験勉強ばかりの高校生活なんて意味が無いと語り合った友人達が教師の言い続ける受験勉強に徐々に打ち込みだして、ついに全ての仲間を失った高校3年の夏休み、1年後輩の女生徒から1枚の絵葉書が届いた。「美ヶ原(松本)の学生村で楽しくやっています」。夏休みの終わり頃、彼女の家に電話をした。母親が出て「○○さんから電話だよ」私と別の名を呼ぶ声が遠くで聞こえた。「もしもし・・。」「えっ」後は会話が続かずに1分くらいで切った。人生最悪の夏であった。
当然の如く浪人することになり、家族の干渉から離れたくて、また社会からも逃避したくて、予備校の夏休みに一人で学生村へ行くことにした。何となく乗鞍(松本)にしたのは1年前を少しは意識していたのだろう。名古屋発の急行はクーラーが利かないほどの超満員で、暑い車中を松本まで立つことになった。隣に立っていた松本の実家に帰省すると言う女性と何となく松本まで話をして、駅で別れた。
それから更に電車とバスを乗り継いで2時間以上かかるとは予想していなかった。何故こんな所まで来なくてはいけないのかと悔やみながら晩ご飯を食べていたら奥歯が取れた。一番近い歯科医は松本、と聞いて翌日、仕方なくまた松本まで出かけて応急処置をしてもらった。学生村へ戻る電車まで何をしようかと考えて歩いていたら、昨日の電車で会った女性が路地からスーッと出てきた。「あれっ」こんな偶然ってあるのだろうか。松本を案内してあげると言って、老舗の信州蕎麦屋や松本城へ連れて行ってくれた。「ミニスカートで来てはダメなのだよね」と言いながら天守閣へ上がり、そこで脚を横に崩して話合った時間は生まれて初めての楽しい経験で、暑い夏もここだけは涼しい風がいつまでも流れていた。学生村までの最終バスに間に合う電車に辛うじて間に合い、振り向いた時、ドアが閉まった。電車が動いた時、その女性は口を閉ざしたまま深呼吸をしたように見え、そして徐々に遠ざかっていった。
夏が来ると決まって思い出す幼い頃や人生の数々の出来事は、毎年確実に遠ざかる記憶。しかし青春時代から大人への人生の夏、過ぎ去ったあの頃の暑かった記憶はいくつ夏を数えても色褪せることは無い。いつも変わらない蝉の声、風鈴の音、暑い夏、そして蘇るの人生の残暑。
松本城天守閣であの日、うなされる様にして目が覚めた。

 
 春夏秋冬 <残暑> から