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<春夏秋冬>

発行日2008/06/10
秋田組合総合病院  木村 愛彦
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「共同宿舎」最後の住人
 
 私は、医学部を卒業直後の2年間、某病院で外科研修を行いました。現在の臨床研修制度とは違い、その大部分を外科医師として過ごし、他、必要と思われる2~3の他科を短期間ずつローテートするといった内容でした。この2年間で医師としての考え方や手技の基本を教えられ、今なお続く外科医生活の基礎が決定づけられたといっても過言ではありません。当時の恩師たちは今でも活躍中ですが、一生の恩人、師匠であることは言うまでもありません。
 充実した研修医生活であったわけですが、反面、日常生活は今では考えられないくらい劣悪を極めるものでした。私たち若手医師には、『共同宿舎』という専用宿舎が住居として与えられました。鉄筋コンクリート3階建て、といえば聞こえはいいのですが、当時で築30~40年の老朽建築物です。卒後1年目の研修医はその3階部分に、2年目以降の医師は1、2階部分に住むことになっていました。自分たちの3階の各部屋の設備は台所というにはほど遠い「流し」と、トイレだけ。風呂などありません。3階には共同の風呂が一ヶ所だけありましたが、お湯は夜間電力による貯めおき式で3人ほどシャワーを浴びるとお湯が尽きてしまいます。ですから、当時5人ほどが3階の住人でしたが、浴槽にお湯をはるなどという行為は御法度でした。真冬でもシャワーの途中にお湯がなくなり冷水に変わることがしばしばあり、さながら滝に打たれる修行僧のごとき有様でした。地獄のシャワーをなんとか終え、部屋にもどるとそこはすきま風入り放題の極寒の空間です。備え付けのFFファンヒーターがありましたが、真冬だと、どんなにMAX、連続運転をしても室温は9℃を越えることはありませんでした。直ちに寝床に入り、分厚い布団にくるまりなんとか暖をとりますが、朝起きたら髪が凍っていたことが何度かありました。ですから病院の若い看護師さんを部屋に招待し・・・などということはどう考えても不可能でありました。そう考えると、この劣悪な住居は、若き医師たちが道を踏み外さないようにという病院側の暖かい配慮であったのかも知れません。当時はそれでも不遇だとかひどすぎるとか思ったことはなく、それが当たり前のものとしか考えませんでした。しかし、私たちの1~2年後から、あまりの貧相な住居にブーイングが起き、研修医宿舎はフツーのアパートになり、3階部分は古いカルテなどの倉庫になりました。ですから、共同宿舎の住人はわれわれが最後の世代ということになりました。今は取り壊され跡形もありませんが、今でも忘れられない研修医時代の思い出です。
 そういえば、共同宿舎廃止後、病院の看護師さんと結婚する若手研修医が増えたような気がします・・・。

 
 春夏秋冬 <「共同宿舎」最後の住人> から