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<春夏秋冬>

発行日2007/11/10
平野いたみのクリニック  平野 勝介
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秋深き
 
 今から6年前、死の淵を彷裡ったあげく奇跡的に集中治療室で意識が出た時、まだオピオイドでボーッとした頭で妻に「迷惑をかけたので退院したら今度の正月にはグアム島へ職員旅行でもしようよ」と言った。開業して1年目の秋頃で、社会復帰どころかまだ生死も定かでない状況下、妻は「行ってみたいねえ」と静かに答えた。28年前、新婚旅行はグアム島だった。人生の希望に満ちていた時と重なり、海や空の美しさなど、強烈な印象を心に刻み付けたグアム島は、「子供が出来ればもうどこにも行けませんよ」と言った産科Dr.の言葉だけが耳に残り、たまに思い出すだけの遠い夢の世界になっていた。
 徐々にオピオイドが抜けて自分の置かれている現実を理解するにつれ、突然に不幸へ引きずりこんでしまった妻や家族へは本当に申し訳なくて、夢から覚めた子供のように泣きたい気持ちと、あまりの厳しい現実に一部諦めの心境から「助からないかもしれないなあ」とか、「人生ってこんなものか」と考えたりしたが、夢うつつの状態だったとは言え、あんな無神経な言葉を言ったことに後悔しながら、自分でも理解し難い不思議な感情が残った。
 その9ヶ月後に奇跡的に社会復帰できたが、その頃はまだ4~5時間仕事するのがやっとで、体力の回復に合わせて徐々に時間を延長していった。体力は無くしてみて初めてその有難味が分かるもので、それは生を実感する作業だった。ICUで言ったあの無神経な言葉もすっかり忘れていたのだが、平成18年のお盆休みの前日、恒例となったその年前半の当院打ち上げパーティーをささやかに催した。少しずつ忙しくなる仕事に体力的にも余裕が出来、スタッフもそれに気持ち良く対応してくれる事で、私はいつも以上に機嫌が良かった。少し酔いが回った後の挨拶で、酔った勢い半分、本音半分で「来年には一度、職員旅行を計画したいと考えています。行き先は南の方、グアム島辺りはどうでしょうか。」この言葉が不思議なくらいスッと出た。拍手と歓声に、その夜は快心の酔いであった。
 お盆明け早々から、職員の旅行積み立てが始まっていた。唖然とする私に「期間が短いから月5000円にしました。」積み立て名簿の表紙に飛行機のマークを配する念の入れようであった。
 何となく事が運んで当日を迎え、まだ半信半疑のまま夕刻にはグアム島に到着した。今まで行きたいと思っても行けなかったのに、職員にいとも簡単に連れてきてもらったグアム島。その夜、何度も夢に見たビーチヘ一人で下りて、海に足を入れてみた。28年前からの記憶が鮮明に早送りで甦って来た。そして40歳からはそのスピードが加速度的に速くなり、あのICUで一時、停止した。人生の短さを悟り、その秋を感じたとき。

 秋深き隣は何をするひとぞ(芭蕉)

 服を脱いで泳ごうと思ったが風邪を引くかもしれないと怖気づく程に疲れていた。
 
 春夏秋冬 <秋深き> から