トップ会長挨拶医師会事業計画活動内容医師会報地域包括ケア介護保険について月間行事予定医療を考える集い学校保健関連

<春夏秋冬>

発行日2007/08/10
秋田県成人病医療センター  阿部 芳久
リストに戻る
修行
 
 「患者さんが自分の親だったらどうするか、いつも考えながら診療にあたりなさい」
 医者になり立ての頃、先輩方によく言われたものだ。それが今では「患者さんが自分だったら」、または「自分の子供だったら」と置き換えなければならない年齢になってしまった。そして一丁前に学生や研修医に講義なんかを行っている。
 何かにつけて話題になっている新臨床研修医制度。これから成熟していく制度なのであろうが、気になる話も聞こえてくる。時間になったら帰宅できる、休みはしっかり取れる、給料は保証されているなど基本的にはいいことだとは思うが、はたして将来に向けて研修医本人や医療全体のためになることなのであろうか。実際、楽ができそうな科、または給料が高い病院に人気が集中するなど、憤慨しながら話す方々が多い。
 子育ての場含、だめな子供にするのは簡単なことである。何でも好きな物を買ってやり、好きなことだけをさせてあげればそれでよい。怖がるものから遠ざければよい。しかし、子供の自由度が上がり、怖いものがなくなることはよりよい成長に結びつくのであろうか。昔は暗い部屋があった。何か悪いことをやれば暗いところに閉じこめられる、そんな思いが人間形成の助けとなった。怖いもの、例えば幽霊を怖がることは良心の表れでもあった。現代は夜でも明かりに包まれ、暗い部屋、自分がどうにかされてしまうのではないか、何か大変なことになるのではないかと得体の知れぬ想像を働かせる場所がなくなった。それと引き替えに、暗い部分は心の中にしまい込まれ、心の闇などという言葉がよく使われるようになってしまった。そして暗い部屋がなくなることで、不思議なことに我々は鍛錬の場を失ってしまったのだ。
 修行という言葉がある。毛嫌いする方もいらっしゃると思うが、私には美しい言葉として響く。もしある程度の年齢になった者たちが医学生や研修医に与えられるものがあるとしたら、それは修行の場であろう。さらに一生涯、修行を続けようとする精神であろう。
 教育は難しい。だいたい「教育」という日本語が嫌いだ。「教え育む」、偉い先生方が生徒に高いところから何かを与えてやるようなイメージである。どう考えても、教師サイドに立った言葉のように思える。英語では「education」であり、ex-(外へ)とduct-(導く)からなる。そうなのだ、教育とは与えるものではなく、その人の持っているものを外へ導き出すための手段なのだ。与えることがあるとすれば、それは感動であり、育まなければならないのは感動できる心なのだ。感動の大きさは、積み上げられた苦労の大きさに比例する。新研修医制度をよりよいものにすることは遠い先輩と言われるようになった私たちの役目でもある。
 
 春夏秋冬 <修行> から