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<春夏秋冬>

発行日2007/02/10
すずきクリニック  鈴木 裕之
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医師になる前に教わること―臨床初期研修の行方 第5
 
医師になる前に教わること―臨床初期研修の行方第5報―

 前回の第4報で私は現在の臨床初期研修システムに必要なのは指導医の「厳しさ」であり、初期研修で研修医に「打たれ強さ」を養うことが必要だと述べた。最近のいじめ問題の報道や新年早々に起こった(実際は年末に起こっていた)兄が妹を殺してバラバラにするといったセンセーショナルな事件を聞いて、問題はもっと別の所にあるのではないかと思うようになってきた。
 ある人から聞いた話をまず書く。某中学校の部活の保護者会でのこと、一人のお母さんが「うちの子も一生懸命部活の練習やってるんですから、強い子ばかりを大会に出さずに、がんばってる子も大会に出してください」と訴えたという。私はこの話を聞いてまさに開いた口がふさがらなかった。恥ずかし気もなく公の場でこんな風に訴える親がいることも驚きだが、そんな発言を許す社会に疑問を感じてしまった。蛙の子は蛙で、この親が育てた子はこの親の発言を聞いて喜ぶのかも知れない。しかし、社会はそんなに平等ではなく、過程より結果で人が評価されることを誰が教えるのだろう。
 いじめ問題ではいじめる張本人といじめられる被害者の間に、いじめは悪いことだとはわかっていても見かけだけの強者に付いて自分の身を守ろうとか、弱者を助けることがいいことだとわかっていても自分だけのけ者にされるのは嫌だと正義より多勢の中での没個性を選ぶ傍観者がいる。ケータイやゲーム機でいつのまにか行動を縛られ、一つの価値観だけで人間を判断し、多様性を否定するという日本の至るところで起こっているこの現象は誰の教育によるものなのだろう。
 研修医を見ていると同じ思いに駆られることが多々ある。面倒なことや辛いことをやらないことが他人よりいい評価をもらうことより優先され、さらには厳しい研修を受けることより、楽に高給をもらうことが優先される。悲しいかなそれではいつまでたっても自分のレベルアップにつながらないことを自覚できていない。これらはすべての研修医に当てはまるわけではないが、すでに教育の時期を終え研修医となった彼らを誰が教育するのだろうか。
 当然の如く、研修医を教育するのは指導医だが、当の指導医は「どう教育するか」という教育をほとんど受けておらず、さらに医療の複雑化と医師の偏在化で時間的な余裕は減る一方である。指導医の責任も重大であり、よい指導医を育成するシステム作りも急務ではあるが、医師免許をもらう前に、ただ医師になることが目標ではなく、患者にとってよい医師になることが目標であって、そのためには厳しさや辛さを乗り越えることが必要で、今後は患者や指導医から評価され、その結果により差別されるのが当たり前だということを教わる必要があるのではなかろうか。
 
 春夏秋冬 <医師になる前に教わること―臨床初期研修の行方 第5> から