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<春夏秋冬>

発行日2006/03/10
鹿嶋医院  鹿嶋 雄治
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消化性潰瘍診療雑感
 
 昭和56年の入局時に購入した個人用の手術台帳が埃にまみれ色あせた姿で書棚に眠っている。入局後の一年間は大学病院で研修し、二年目からは大学病院と関連病院との間を往復するというのが当時の外科研修カリキュラムであった。出張先の医長の方針にもよるが、手術は三年目から胆石症や消化性潰瘍などの開腹手術をさせてもらえるようになるのがおおよその目安であった。三年目である昭和58年からの一年間は、新潟県立小出病院、済生会三条病院という外科医が医長と私の小規模な病院に出張していた。古い手術台帳をめくってみると消化性潰瘍に対する広範囲胃切除術をこの一年間で22例執刀しているのがわかる。当時の記憶では、潰瘍の手術はネーベンの役目であったので、この数はその病院の手術例すべてであったように思う。
 その頃は昭和57年に発売された初めてのH2受容体拮抗薬シメチジンが登場した時期であった。この薬剤は消化性潰瘍の治療に大きな変革をもたらしたものであり、外科医にとっても潰瘍の手術症例が減少の一途をたどる一大転機となった薬剤であった。その後も難治例や出血、穿孔例に対する胃切除術は行われていたが、内視鏡的止血術の進歩、穿孔例に対する保存的治療や大網充填などの手術的治療の有効性が確立されるにおよんで、潰瘍で胃を切除するということ自体がきわめて稀なものとなってしまった。(余談ではあるが、「胃潰瘍で胃を切った」という患者さんに手術時期を尋ね、昭和60年以降の手術で出血や穿孔のエピソードがなければ、上記の経緯からその患者さんは胃癌で手術を受けたであろうことが概ね推察されるのである。)
 より強力な酸分泌抑制作用をもつプロトンポンプ阻害剤が平成3年に発売されてからも、依然として消化性潰瘍は「再発を繰り返す疾患」であることに変わりのない状態が続いていた。ふたたび昭和58年に話はもどるが、この年はオーストラリアの病理学者Warrenと消化器病医Marshallによって、慢性胃炎患者の胃粘膜から、のちにH.pyloriと命名されるラセン状細菌が分離・培養された年である。以降の研究でこの細菌こそが消化性潰瘍の主要な原因であることが明らかとなり、平成12年から我が国でも除菌治療が保険適応となったことで、消化性潰瘍は「治る疾患」へと変貌したのである。消化性潰瘍患者にとって除菌治療がもたらした恩恵は計り知れないものがあり、WarrenとMarshallが昨年のノーベル賞を受賞したことからも、H.pylori研究の成果がいかに画期的なものであったかが理解できる。
 私の診療所でも二百例以上の除菌治療を行った結果、潰瘍の再発症例はすっかり影をひそめてしまった。たまに診断する新患の潰瘍をハイビジョンの内視鏡画像でながめながら、四苦八苦しつつ内視鏡検査や胃切除をしていた駆け出し外科医の頃の自分の姿が潰瘍治療の変遷と重なりあって、奇妙な感慨にひたるこのごろである。
 
 春夏秋冬 <消化性潰瘍診療雑感> から