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<ペンリレー>

発行日2003/04/10
一戸医院  一戸 忠
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初舞台
 
 北嶋益二先生からペンリレーの次の走者の指名を頂き、よろしいですと、返事はしましたけれど、昔から、作文と体操は大の苦手で、何を書こうかと考えているうちに日にちが過ぎてしまいました。今から10年前、尺八の都山流大師範のT師匠が『先生長生きしたがったら、尺八やればいい』と、のたまうのです。人間国宝の島原帆山先生は九十才で、今でも矍鑠として、尺八を吹いているから元気なのだと言う。
(平成13年、百才で逝去)
 朝早く起きて、新鮮な空気を腹一杯に吸うので、全身の血行が良くなり、脳は活性化され、老化防止、呆け防止になるのだと言う。週一回の稽古でよいと言うので、六十の手習いと申しますか、尺八の眞似事をすることになりました。尺八の稽古は吹く前に唱譜(しょうふ)と言って、譜面を何回も大きな声で読むことから始まり、汗をかく程きついものです。そのあと、尺八を吹いても簡単に音は出ないし、首振り3年と言われるだけあって、かなり続けないと音はうまく出てくれないの
です。出ても人に聞かせられるようになるまでは大変むづかしいものです。尺八は天然の竹なので、温度、湿度によって音色の高低が異なるなど、デリケートな楽器で、それが又、味のあるものなのです。動機が、老化防止、呆け防止だったので、年令のせいもあるが、さっぱり上達せず、半ば諦めかけて数年経った頃、N箏曲教室の主催で国際交流コンサートが、秋田県民会館で開催され、三曲、つまり箏、三絃、尺八の合奏することになった。齢、七十才にして、初めて舞台に立たせて貰うことになりました。紋付き袴に正装して緋毛氈を敷きつめられた舞台に正座したときは、緊張のあまり、身震いを感じたし、眩しい程のスポットライトを浴び、拍手が鳴りひびき、幕が上がって、中尾都山作曲、『岩清水』を師匠と私と女性3名で合奏したときは無我夢中で汗びっしょりだったことを今ではなつかしく思い出されるのです。
 尺八のルーツを少し調べてみました。約5000年程前にエジプトで発祥し、初めは蘆の茎に孔を開けて吹いたのが、竹となり、中央アジア、印度、中国を経て6世紀ころ、日本に渡ったものらしい。江戸時代は虚無僧の法器として使用されていて、明治維新となって一般に開放されてから全国に普及したようです。最近では神秘的な音色にひかれてか、むしろ外国人に愛好者が増えて、アメリカ、カナダと奏者が多く国際的になりました。
 ペンリレーの次の走者は、私の合奏を聴いて下さった進藤和夫先生にお願いします。
 
 ペンリレー <初舞台> から