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<ペンリレー>

発行日2003/03/10
三浦整形外科医院  三浦利治
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人生七十古来稀なり
 
 ペンリレー前回は平成12年3月、前中通病院院長瀬戸泰士先生からバトンを引き継いだ。その時は市医師会員数から今後順番が回ってくることはないと思っていた。それが今回石田晃二先生の指名を受け、とんだ計算違いに戸惑ってしまった。
 原稿依頼を見ると執筆者に年代の偏りがないようにと60歳代を境に若い先生と年配者とに分けたらしく、又いつのまにペンリレー欄は月2回に増え、定着しているのは担当されている方々の努力の賜物と敬意を表したい。
 ある50歳の先生が医師会の会合で「もう若手ではない」と言われたが、別の集まりでは「まだまだ若造だ」と当てにされない医師会というところはおもしろいね、と笑っていたのを聞いたことがある。一般社会ではそれなりに遇されるものの職業によって、グループによっては又異なった分け方があるらしい。
 最近、周囲を見ると若い先生方多く入会され、確実に自分の位置が変わっているのが分かる。
 私は昭和46年9月1日に開業した。その3ヵ月前あの有名な保険医総辞退という事件が起こり、勤務医の気楽さからかあまり動揺はなかったが、開業が3ヵ月早かったらどうなったろうかという思いを強くした記憶がある。その後子供を育てながら開業医生活は30年を超え、今は静かな診療生活である。
 今年は正月早々所属している会から「古希」のお祝いを戴いた。
 盛唐の詩人杜甫は「朝廷の勤めから帰れば毎日衣類を質入れして酒を買い、酔いしれて帰る始末だ。酒代の借りは珍しくもなくあちこちにたまっている。それより人の命ははかなく人生七十古来稀なり。せめて生きている間は酒でも飲もうではないか。」と嘆じており、出典としてはあまり芳しいものではないと思った。都を追われる前の絶望的な時の作品だが、酒が好きで生涯嘆声がつきまとったと聞く。自身は58歳で生涯を閉じているが、気ままに酒ばかり飲んで、何もかも投げ捨てた気持ちになっていると人もまた私を見捨ててしまい、朝廷の勤めもおっくうになり、本当に世間に背を向けてしまったという嘆き節が続いている。現代の杜甫ならば人生何歳と詩(うた)うだろうか。
 ともあれ、いにしえの賢人が「にこまで生きるのは珍しい」と言う歳になった事に感謝したい。このあと長いか、短いか、少しばかり勝手な生き方をしたいなどと、きざっぽい考えが頭をもたげている。もちろん今までも自由に振る舞い、格別自分を律した生活をした訳でははないが、誰かのため、何かを目的にというものがいつも体に引っ掛っていたような気がする。
 最近多くの老人応援歌が出回っており、身体面、精神面からアドバイスやら心得などが記載されているらしいが、何故かそのどれも読んだことはない。しかし4~5年前発行の[老人力]は着想の面白さから楽しく読ませて貰った。特別に張り切る訳でもなく、うつに陥らずに楽しめないかと考えている。才能があっても世間に背を向け、不満たらたらの生活は参考にならない。

 秋田市内に生まれ育ったので中学の同窓会は5年毎に、高校のそれは毎年行われており、その度に出席している。残念な事だが次第にリタイヤしていく人が多い。酒が入ると本音が出て来て色々な話が出て来て興味深い。「医者はいいね。いつまでも仕事が出来て。」「医者は大変だね。何時までも働いて!」どちらも本音だろう。法律上、医者の定年制は話題に上っているらしいが、今のところ定年は自分で決めなければならない。現役の医者として働き続けるとしても守備範囲はだんだん狭くなる。開業当時から自分の能力を極めて診療を行うことが一番大事だと自らに言い聞かせてきたし、最近は特に心している。
 今後この欄に書く機会は本当に来ないと思うが、もし間違って順番が来たら、苦しみながらも応じるだろう。
 
 ペンリレー <人生七十古来稀なり> から