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<ペンリレー>

発行日2003/02/10
中通総合病院  李 力行
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難行、苦行、力行
 
 自分はたいして話題に乏しい男である。ペンリレーの依頼を受けたときはたとして迷った。何から話せばよいのか。タイトルに示したことをヒントにして自分の名前のことについて少し話をしてみようかと思う。小さい頃から変わった名前だと思っていた。字画が少なく名前を書くには便利だがそれ以外は少々変わった名前に、つけた親を少し恨んでいた。正式には「リッコウ」というのだが、まず、普通であれば何と呼ぶべきか迷うのが当然である。「リキギョウ」と呼ばれたり、挙げ句の果てアカサナの「力」行さんですか?と聞かれたときはさすがに空いた口が塞がらなかった。へその緒をしまった桐箱には李民侑と別の名前が記されていたがどこでどうしてこの名前になったかはミステリーである。高校時代、漢文の授業で「カ行」に出合ったときはさすがに感激した。それまで解きあかされなかった自分の名前の由来を知り妙に胸の高鳴りを覚えたものである。史記の管晏列伝のなかの一節に晏平。仲。嬰者。莱之夷維人也。事斉公・荘公・景公。以節倹力行重斉。…とあった。古代中国春秋戦国時代、斉で三代の王に宰相として事(つか)え一着の皮衣を30年間着続けたというほど日々倹約につとめ精勤(力行)に励んだという立派な人物のはなしではあるが、自分の名前のルーツを知った喜びの反面、生来怠け者である自分にはえらく名前負けしているなと寂しくも思えた。
 「行」という字には行動を起こして何かに働きかける active なイメージもあるが、難行、苦行に例えられるように何かつらい大変なことに挑戦し負荷をかげながら成就するという意味もあるようだ。千日回峰行などはその極めつけかも知れない。
 最近、熟年域に入り登山に目覚めた私にとって自分の名前が名前と私自身が一致していくようで嬉しく思えるように少し変わってきた。ふ一ん、「難行、苦行、力行」かと変なコピーまで造っている。
 「行」はいわばtrekkingとイコール(いいCall)なのである。辞書には苦労を重ねつらい道のりを旅すると書いているが、まさにおまえにピッタシじゃないかと一人ほくそそえんでいる。
 日本には三大馬鹿登りというのがあるらしい。北アルプスの合戦尾根、ブナ立て尾根、雲の平のバカ尾根をさして言うらしいのだが、3年前の夏に行った雲の平のバカ尾根、バカ登りにはさすがにこたえるものがあった。40Lザックをパンパンにつめ薬師沢から雲の平をめざして視界も何も効かない急傾斜の暗い樹林の中をただひたすらしょっぱい汗を舐めながら登ったが、はからずや翌年椎間板ヘルニアの手術を受ける羽目になってしまった。やはり、人間にもバカが移ったのかもしれない。ただ、あの時の雲の平についたときの感激だけはいまだに忘れられないものがある。山小屋についた後のひととき、日本庭園、スイス庭園と名付けられた高原台地を散策し水晶岳を前にしたスイス庭園で遠く夕日にかすむ剣、立山の景色をみつめ、悠揚迫る赤牛から水晶に続くまつ赤に染まる曲摺をみたとき、時間は止まり言葉を失ってしまった。残るは深い谷から響いてくる山の音だけである。大自然の奏でるシンフォニーが頭に響きわたっていた。人間とはいかに小さく自然とはいかに大きいものなのか…。言葉はいらなかった。
 翌日、鷲羽の頂で得た槍をはじめ穂高、笠、薬師、剣へと続くスケールの大きな360度の大パノラマは私にとって最高のプレゼントであった。バカ尾根、バカ登りの行の果てにこの宝物を手に入れたのである。「苦労無くして喜びはなし」と我が山の畏友は語るが、然り。行の遂に恵があるのである。この病は名前と同じく一生ついていくものなのかもしれない。行き着く先はピレネー越えのサンチャーゴ・デ・コンポステーラまでの道のりかも知れない。果てしなく夢は続くのである。
 次回は大学病院時代の医局の大先輩である添野武彦先生にお願いいたします。
 
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