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<ペンリレー>

発行日2002/09/10
加藤産婦人科医院  加藤昭典
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取越苦労
 
 人間生を受けたその時から、好むと好まざるに関らず「死」に向かって歩み続けることは確かです。『私は、私の生まれ出るところを知らない。しかしせめて私の死は、自分の意識でみとりたい。』(寂聴)
 毎朝新聞で、死亡記事に第一番目に自が向くようになって○十年、臨死・死亡原因の実態は複雑です。「天寿を全うして」「病気療養中」「不慮の事故により…」等々。(天寿とは自分では何才かな。と心配したりです。)更に脳死・尊厳死・安楽死等論議盛な中で、○○神宮、○○地蔵等所謂ポックリ死等霊験あらたかな話題が週刊紙上を賑かしたこともある現実です。
 30余年前、菊の秋、小春日和のあたたかい陽ざしがさしこむ仏間でした。76才の母が毎朝の行事の読経に入り、その左側後方に私が控え共に合掌を始めてから何分たってでしょうか。突然母がゆらりと後側方に倒れかかりましたので「どうした。」と思わず両腕に支えて抱きかかえました。この一瞬が母の此岸から彼岸への渡りの第一歩であったのです。安らかな常の温顔そのものでした。仏間で朝の和やかな日差しの下、子どもの腕の中での往生、日頃信心深く朝夕読経三昧の本人にとりましては、平和な時代にあって理想的な旅立ちではなかったかと想像して居ります。(甚身勝手な解釈ですが。)
 前任の方からバトンを引き継いで、ハタと困りました。日頃の無趣味、また特別の哲学など更にない私です。「孟蘭盆」を迎えるこの時期、思いつくままの駄文になりました。この道は必ずしも辿る道ならば、どのように歩み(生きて)此岸に立ち、さてどんな「渡し」に乗ることになるでしょうか。のんびり、ぼんやり「無明の闇」に生きる凡人。調子よく廟観音夕薬師」にでも椅り懸りを求めますが…。

閑話休題一…(?)
 
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