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<ペンリレー>

発行日2002/01/10
白根病院  那須 宏
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「わかって下さい」と秋田の風土
 
 長沼雄峰先生からペンリレーの話があった時、因幡晃の「分かって下さい」の曲が気にかかり、その原因が何か明らかにしようと思った。彼は高校卒業後大館市の鉱山に勤めていたが、21歳の時にこの曲で、ポピュラーソングコンテスト最優秀曲賞、世界歌謡祭入賞などを受賞した。前年「時代」でデビューした中島みゆき等と肩を並べるシンガーソングライターの仲間入りした。「あなたの愛した人の名前はあの夏の日とともに忘れたでしょう」で始まるこの曲は、20代前半の私にとって、心にここちよくしみる曲であった。小椋佳、荒井由美、丸山圭子、山崎ハコ、松山千春等の曲と違うところは、単に彼が秋田出身で、地元のラジオで偶に流れるからではなく、私自身の心の構造の中に「わかって下さい」が住んでいるためと、40才をすぎてから思うようになった。昔から「おばあちゃん子は3文安い」といわれているが、私は、曽祖母、祖母、母に育てられた。曽祖母は婿とりの気丈な人で、私がいじめられて帰ると隣近所の家に怒鳴りこんでくれた。脳卒中で倒れてなくなったのは私が中学2年生の時であった。祖母は30代で戦争未亡人となり朝から晩まで野良仕事をし家族皆に優しい人であった。わたしが泣き顔をみせると黙ってそばにいてくれた。私が40才になるまで健在であった。食事の座る席、おかずの量、風呂に入る順番など父親が1番で、その次が私とおおよそ何も話さなくても日々の生活は事足りた。(個人を大事にするより長男、「家」を大事にするしきたりから来ている。)私が自分を「わかって下さい」人間と意識させられたのは結婚してからであった。妻が「今晩のおかずは何がいい。」と尋ねても、「うーん(なんでもいいよ)」と考えこみ、、「ごはんできたよ」と言われても「…少し待って(新聞を読んでいるのがわからないのか)」とのんびりしていると、妻は怒り出してしまった。このギャップは最初、男と女の違いで、その距離は人と猿より遠いと思っておりましたが、何年たってもこの距離は縮まりません。それでこれはサラリーマンの娘と農家の長男の違いだと思っておりました。因幡晃が歌う「涙で文字がにじんでいたなら、わかって下さい」の段階でも、妻は「なぜそういうふうになるのか、言葉にはっきりださなくては私にはわからない」といわれる始末です。すなわち妻と私には「わかって下さい」という共通の土壌がなかったのです。江戸時代一生の間に400人の名前を覚えれば生きていけるといわれていました。私も子供の頃は上に屋号を付け、「長兵衛のひろし」と地域の人には呼ばれていました。私が第一内科を選んだのも荒川弘道先生に象徴されるようにあまり、話さなくてもいい医局だなと思ったからでした。医局に入ってから大先輩の佐藤家隆先生には「農協青年のにおいがする」、といわれ、小松眞史先生には「Schwachsinn」なる称号を頂いておりました。(オーベンの井上義朗先生にはどれだけ手取り足取りお教えいただいたかと思う今日この頃である)。以前から農家の長男には嫁がこないなどと話題になりますが、その一因として「わかって下さい」があると思われる。
 一方因幡晃は大館の鉱山出身である。私が小坂鉱山病院に当直したおり宿舎は鉱山の長屋の連なる一軒屋であった。昔、鉱山の男たちは山からあがると皆で酒を酌み交わし、塵肺になり平均38才で亡くなっていった。そのため女性は2、3回結婚をしたそうである。鉱山では上下関係があったとしても、となり近所のことは農村とおなじようにみな知っているという「わかって下さい」という土壌がこの長屋にはあったのではないか。
 秋田県は農業と鉱山の資源に恵まれた県であった。1837年天保の飢餓の折も近隣の陸奥国なって下さい」という土壌がこの長屋にはあったのではないか。どから米の買い付けにきている。現在の岩手県胆沢町の人は、仙台藩では禁止されている酒、どぶろくなどが秋田の小安温泉では、4人の女の人と10人の男たちが酒盛りをしていることを目撃し「秋田日記」のなかに秋田の豊かさを記したのである。私が夏に宮古にキャンプにいった時、三陸の海はとても冷たく下浜の海と異なり到底泳げる水温ではなかった。宮沢賢治の「雨ニモ負ケジ、風ニモ負ケジ」の詩はこの飢餓になる夏の冷たい雨であり、夏の冷たい風であったのだと実感したものであった。すなわち秋田県においては飢餓で個人が死んでも「家」ごと滅びることは少なかったと思う。
 「わかって下さい」人間が患者として来ると、「先生、風邪だ、治してけれ」となり、「いつから」、「熱は」、「咳は」、「鼻水は」等と問うても仲々要領を得ず、「先生だばわかるべ、早く薬っこけれ」で終わるのである。すなわち「わかって下さい」人間の特徴は、「相手に過度に期待すること」、「合理性、事実より相手に優しさを求めること」である。1970年代因幡晃と同時に出たアメリカより歴史の浅い北海道出身の中島みゆき、松山千春は、「時代」、「季節の中で」で厳しい冬を、それぞれ「めぐるめぐる時代はめぐる」、「めぐるめぐる季節の中で」と明るく力強く歌うのである。それに対して因幡晃は、次の「別涙-別れ」のなかで「白い旅「わかって下さい」人間は、個人として強く自己主張するより、あっさり社会に対しあきらめ、一方相手に対し「すねる」のである。
 2001年は9月11日、ニューヨーク貿易センタービルのテロで世界の空気は一変した。「わかって下さい」人間は安定した秋田の風土、家族関係に育まれた人で、社会の変動、変革に弱く、早くディベートに強い個人に生まれ変わらないと生きていけないのである。
 
 ペンリレー <「わかって下さい」と秋田の風土> から