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<ペンリレー>

発行日2022/09/10
ちば小児科アレルギークリニック  千葉 剛史
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カーリングあれこれ
 
 2021年5月に新規にちば小児科アレルギークリニックを開業しました千葉剛史です。
 まだ開業して数ヵ月なのですが、アレルギー診療でお世話になっているのりこ皮膚科の千葉貴人先生よりペンリレーの指名をいただきました。よく患者さんからも苗字が同じで、千葉貴人先生は皮膚科、自分もアレルギー絡みでアトピー性皮膚炎を診ているので「親戚ですか?」とよく聞かれます。苗字が同じなので遡ればどこかで共通点があるのだと思いますが、私の知る限りでは血縁関係はありません(あったらすいません・・・)。せっかくのご指名でしたので是非、ということで引き受けまして、内容は何でも可というものの何でもよいというのが一番難しかったりするので、思いついた大学時代の部活について書きたいと思います。
 もともと自分は運動が苦手で小中高と特に運動部にも所属せず生活してきました。その中で運命の転機となったのは1998年の長野オリンピックでした。テレビでたまたま観た冬季オリンピックで行われていた「カーリング」という競技に目を奪われ、何て面白い競技なんだ、と思ったのがきっかけでした。そこから2年後、入学した秋田大学には全国では珍しく(なので東医体などもない)、たまたまカーリング部が存在していました。カーリング部があることも知らずに入学したのですが、存在を知ったときにはこれはやるしかない、と猪突猛進で入部したものでした。
 カーリングは今でこそ「そだねー」や「もぐもぐタイム」など流行語を生み出し、今年の北京オリンピックで銀メダルを獲得したロコ・ソラーレのおかげで市民権を得ましたが、当時は得体の知れないスポーツというザ・マイナースポーツでした。1チーム4人で対戦し、両チーム交互に1人2投ずつハックと呼ばれるけり出す板から40m先のハウスと呼ばれるダーツの的のようなところの中心にストーンと呼ばれる石を投げ、最後に中心に近いチームに点数が入るということを10エンド(野球で言うイニング、大会によって数が違う)行い、合計点数を争うというシンプルなルールです。
 カーリングに対してのメジャーな質問がいくつかありますが、その1つ目は「自分の石持ってるの?」です。ストーンの原産地はスコットランドのアイサクレイグ島で採掘された花崗岩、と決まっておりそれを幅278mm、高さ136mm、20kgに加工しています。そのため試合毎に持ち歩いていたらいつか体を壊してしまうと思います。また、ストーンは1個1個その回転の癖、減速してくるタイミングなど個性があります。オリンピックなど大きな大会で、フィフス(サブメンバー)が試合終了後にナイトセッションとして日が変わるまで翌日に使用するストーンを投げ続け、それぞれのストーンの癖を把握して誰がどのストーンを投げるのかを決めたり情報を伝えたりするのはカーリングの世界では有名な話です。なので、マイストーンというものがあればよろしくない加工をして不正の温床になる恐れもあるため、そういったものは存在せず、そのカーリング会場に設置してある物を使用して試合を行います。
 2つ目は「ブラシって高いの?」です。どの世界でも下世話なお金の話はつきまといますが、カーリングは他のスポーツに比べて多分リーズナブルだと思います。必要な道具は動きやすい服装と「ブラシ」、「シューズ」だけです。ブラシは完全にデッキブラシのような形で掃除にも使おうと思えば使えます。その昔、同期が掃除ブラシでカーリングのスイープをやっていたらブラシが折れた話が今でも思い出されます。ブラシは安いと7000円から、軽量かつ耐久性が高いものになると30000円くらいになります。ブラシヘッドは様々な素材があり、昔は豚毛や馬毛などが多かったですが、使っていると毛がシートに落ちて巻き込むため現在の主流はナイロンパッドです。シューズは「滑ってるけど裏どうなってるの?」とよく聞かれます。これは写真のようにアンチスライダー(グリッパー)をスライダー側にかぶせると普通の靴のようになり、アンチを外すとスライダーが露出します。スライダーはテフロン加工された素材になっていてこの状態でアイスに乗ると滑ります。このスライダーの厚さが厚いほど値段が上がって高いと40000円くらいします。
 3つ目はカーリングを知らない人が100人いれば100人聞いてくる質問で、「掃く人?投げる人?」です。毎回聞かれると次第に「試合見ろ」とアンジャッシュ児嶋風に言いたくなりますが、それをこらえて笑顔で「どっちもやるんですよー」とカーリングに興味をもってくれたことに敬意を払ってお答えします。
 部活にいそしんでいたものの、部活動としてはやはり新入部員が入ってこなければ廃部の危機が訪れるわけで、毎年の部員獲得に苦労したことが思い出されます。何とか3年持ちこたえれば4年に1回の冬季オリンピックでカーリングを目にし、もの珍しさにつられた新入部員を獲得してまた3年持ちこたえる、そんな6年間を過ごしましたが最近は多分メジャースポーツの仲間に入れてもらえるようになったのか部員獲得に苦労もしなくなったようです。
 振り返ってみるとカーリングもマイナーでしたし、現在メインは小児科でありながらもサブスペでアレルギーというどちらかといえば昔はあまり見向きもされなかった分野にはまっていることを考えると自分はニッチなところが好きなんだろうか、と思ったりもします。
 まったくとりとめもない話になり恐縮ですが、皆様今後ともよろしくお願いいたします。次は中通総合病院で一緒にアレルギー診療をしていた山田瑛子先生にお願いしました。よろしくお願いいたします。
 
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