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<ペンリレー>

発行日2020/12/10
秋田県立循環器・脳脊髄センター  羽尾 清貴
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サッカーワールドカップと私
 
  中学時代に部活でサッカーを始めて、今でも機会があればフットサルをしたり、子供とボールを蹴ったりしている私ですが、サッカーのワールドカップを初めて意識したのはドーハの悲劇だったかと思います。1993年にカタールの首都ドーハでアジア最終予選が行われ、この試合に勝てば日本のワールドカップ初出場が決まるという最終戦の日本対イラク戦を中学3年生だった私は真夜中に一人でハラハラしながらテレビでみていました。後半になってゴン中山選手のゴールが決まって日本が勝ち越したことを喜んでいる私の声が聞こえたのか、サッカーに興味のない父がトイレに起きたついでのような感じでテレビ観戦に加わってロスタイムを迎えました。そして、最後のプレーになると思われたイラクのコーナーキックから同点ゴールが決まり、日本のワールドカップ出場が目前で泡と消えました。声も出せずに茫然としている私を横目に、軽い溜息とともに無言で父が寝室に帰っていった後ろ姿は今でも鮮明に覚えています。翌年の1994年に行われたアメリカワールドカップには残念ながら日本は出場できませんでしたが、大活躍していたマラドーナがドーピング違反のために大会途中で出場停止になったり、一方でイタリアがグループリーグ敗退寸前から持ち直して決勝までなんとか進出したものの最後はロベルト・バッジョがPKを失敗し、ブラジルに敗れて準優勝に終わったりといったエンターテインメント性に富んだ内容であり、初めてみる世界一のイベントであるワールドカップを堪能しました。
  ドーハの悲劇から4年後である1997年、日本がワールドカップ初出場を決めたジョホールバルの歓喜の時には私は浪人生となっており、自宅から離れて寮生活を送っていました。テレビの持ち込みを禁止されているにも関わらず、11インチほどのテレビデオの持ち込みに成功していたツワモノの友人の部屋に5,6人ほどで集まって、マレーシアのジョホールバルで行われたアジア第3代表決定戦である日本対イランの試合を見ていた私たちでしたが、延長戦で何度かあったチャンスを決めきれなかった「野人」こと岡野選手がようやく決勝ゴールを決めたときにはみんなで絶叫して喜びを分かち合いました。他の部屋からも同様に騒ぎ声が聞こえており、みんながテレビで試合を見ているであろうことは寮長にはバレバレであったと思われましたが、この時ばかりは普段は厳しかった寮長からは何のお咎めもありませんでした。そして、その翌年に行われた1998年のフランスワールドカップの時には無事に大学合格しており、サッカー部の合宿中でしたので、日本が初出場したワールドカップを見ながらみんなで盛り上がりました。
  2002年の日韓ワールドカップの時には、医学部サッカー部に所属していたツテもあって、幸運にも仙台で行われた決勝トーナメント1回戦である日本対トルコ戦を現地で観戦することができました。日本中がワールドカップで盛り上がっている中で、テレビでしか観たことのないワールドカップの、しかも日本の試合を見れるということで大興奮のなかで試合会場に向かったのでしたが、小雨が降っているという微妙な天候のなかで日本の選手たちはどこか精彩を欠いており、盛り上がりに欠けたまま試合に破れてしまいました。せっかくのワールドカップ観戦だったのに残念ではありましたが、今となってはいい思い出になっています。
  2006年のドイツワールドカップの時には、後期研修医として毎日非常に忙しく働いていたためでしょうか、試合の内容は覚えているのですが、その時のシチュエーションはいまいち記憶にありません。
  2010年の南アフリカワールドカップの時には大学院生となっており、グループリーグ第2戦の日本対デンマーク戦のときは某・老人病院の当直勤務中でした。その病院の当直室は病室に隣接しており、当直室にいると隣の部屋の患者さんの声が聞こえてくるような環境だったのですが、その試合では本田選手と遠藤選手の見事なフリーキックが決まるたびに夜中にも関わらずに大声をあげて喜んでしまい、静かな真夜中の病院で患者さんや勤務中の看護婦さんには私の声が聞こえたのではないかとヒヤヒヤしましたが、翌日も看護婦さんからは何も言われず、私の歓声が部屋の外まで響いたのかどうかは不明なままです。
  2014年のブラジルワールドカップの時には長女が誕生したばかりでした。グループリーグ初戦の日本対コートジボアールの試合を、出産を無事に終えたもののまだ入院中の妻の病室で観戦しました。生まれて数日の子供をそっちのけでテレビから目を離さない私に対する妻と助産師さんの冷たい視線を感じながらも観戦し続けましたが、試合終盤にコートジボアールが立て続けに得点を決めて逆転負けを喫してしまい、気まずさが倍増して意気消沈したことを覚えています。
  最近では、以前と比べてサッカー観戦に対する熱が冷めてきたなあと感じていますが、ワールドカップ予選や本選が始まるとやはり気持ちが盛り上がってくるもので、2018年ロシアワールドカップも同僚とともに仕事帰りに居酒屋で騒ぎながら観戦しました。今回、このような機会にワールドカップの思い出を考えてみたところ、4年ごとに自分の状況が変わりながらもワールドカップに夢中になっているのは変わらないなと実感しました。これからも、サッカーを始めた長男と一緒に観戦をするといった楽しい思い出が作っていけたらいいなあと思っております。
  次回のペンリレーは同僚であります、秋田県立循環器・脳脊髄センターの天水宏和先生にお願いします。
 
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