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<ペンリレー>

発行日2020/06/10
秋田県立循環器・脳脊髄センター  佐々木 正弘
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新型コロナに思う、あの時はみんな頑張って生きていたよね、じゃあダメなのですか
 
  CORONAと言えば、今まではコロナビールとか、家電のCORONAとか、トヨタコロナマークⅡとか世界に貢献している親しみのあるイメージであったが、今では『新型コロナウイルス』と言う言葉を連日耳にするようになっている。残念なことだが、これからも当分はこの感覚が世界中で続くのだろう。
 この感染症の解明はもちろんだが、医学に関係なく語らせていただけるなら、人間の本性やら、社会の仕組みやら、何かしら学ぶことができている。情報が少ない当初は、「自分が罹らなければいいだろう」「若いから罹る事はないだろう」「海外発生地やクルーズ船内の問題だろう」「このウイルスはあまり強くないだろう」と自分を含め他人事と思っている国民は多かったかもしれない。政府ですら経済活動優先で行動制限もなく、自分も2月中旬には東京の講習会に参加し、3月の学会発表の準備もしていた。2月下旬になると感染患者が増加し始め、主催者の判断で開催自粛がなされる傾向になってきていた。自分も流石にこの時期には他人事とは到底思えなくなり、感染蔓延に備える意識になっていった。3月下旬になり、ようやく総理から「国民の健康と安全」と言う文言が聞かれ、政府からは「自粛」と言う言葉が出され、4月上旬に「緊急事態宣言」が発令され、その後1ヶ月間は「不要不急の外出、3密の回避、清潔の遂行」の生活に入った。幸い、現時点では秋田県の感染者発生は1ヶ月以上ない状態を維持している。この経過からも秋田県民はすごく頑張った県民だと自負しているし、これからもなんの根拠もなく大丈夫だと思っている。
  自分は直接、感染当事者に関わる事なく、他地域の情報も報道からなので、偏りがあるかもしれないが、「誤った自己解釈のモラル、自粛、ストレス、正義感」が否めない。他人を思いやる気持ちの前に、自己が先立っている感のある行動や言動が目立つ。自由とか自主性を履き違えていると思う。「家にいるとストレスが溜まるから、外に出て気分転換」「家族総出の買い出し」「コロナ疎開」「自粛警察」をする人たちと、家で上手に「自粛生活」をする人たちとは何が違うのだろうか?に興味が湧いている。後者は宇宙生活とかできそうな人たちかな?と想像してしまう。
 同じように「政治的解釈のモラル、自粛」も医療に携わるものとして、とても歯がゆい。「専門家会議を踏まえて」はいいが、今では枕詞にしか聞こえてこないし、医療面だけの提言だと思っていたら、経済学者まで参加しなければいけないほど、政府に強いられているものがあるんだろうと推測してしまう。母校の大先輩である尾身先生が、テレビに出るたびに心の中で先輩に失礼だが「頑張って」とエールを送ってしまっている。マスクが手に入りにくい、感染拡大時点では、全世帯対象の「アベノマスク」は感染予防のいい意識づけになりそうだと思っていたが、不良品の混在や宣言解除とともに、「不要不急」の政府からの贈り物になりそうである。どの世界でも正確性と迅速性が必要だということを改めて学んだ気がする。
  宣言解除とともに、政府は「新しい生活様式」を推奨している。また「誤った自己解釈の新しい生活様式」になると思うと、同じように思いやりのない生活者が横行するような気がしてならない。新しい生活様式の「社会的距離、テレワーク、感染予防」は一人生活・スマホ持ちでは可能だとしたら、自分はスマホを持ってないのでコロナが収束してもお先は真っ暗なままになるかもしれない。
 テレビを含めていろいろな議論を耳にするが、ふと「この緊急事態に先人たちだったら、どのように行動していたのだろうか」と思ったりもする。前回のSARSの経験を学んでも、政治は結局同じことを繰り返しているように感じる。そして、何が正解かがわからないときの対処は後手後手になり、過去の経験を上手に活かせていない社会であることも感じている。ただ、治療に使えそうな既存薬があったことだけは、不幸中の幸いである。全ての感染患者が快方に向かうことを期待する。
  この感染症を通じて、自分なりに学ぶところはあったと思う。医療者としては、集団感染している未知のウイルスの情報は積極的に収集する姿勢は必要であり、さらに研修医時代の広範な情報を貪欲に収集していた頃の気持ちを改めて持ち続けるようにしたい。また、愛する秋田に生活するものとして、他人を思いやる行動自粛を心がけたい。感染地域に渡航しないとか、不要不急と自問自答しなければいけない行為はしないとか、モラルと言うものを再確認することができた。改めて、自分と他人の感覚の違い、秋田県民の素晴らしさ、日本人の個性、行政の一部である医療よりは経済活動優先の流れというものを知ることができたような気がする。
 このような状況でも、季節だけは過ぎていく。来年は新しい生活様式?のもと、千秋公園で桜をしっかり愛でたい。そして、新型コロナ感染が収束した暁には、太陽コロナを感じながら、紹介者の宮澤先生と同級生たちとで、本当はワインだけどコロナビールで乾杯したい。

  次回は、高校同期の及川先生から教えてもらうまで同窓生とは分からなかった、当センター循環器内科の高橋徹先生にお願いします。

 
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