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<ペンリレー>

発行日2020/02/10
秋田赤十字病院  中畑 潤一
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出身はどちらですか?
 
  「出身はどちらですか?」と聞かれると、「話が長くなりますがいいですか?」と答えることにしています。父親が転勤族であったため、幼少時から何度も引っ越しており、どこがふるさととは決められないためです。
 そこでどこで育ってきたのか、遅ればせながら、この場をお借りしてご紹介させていただきます。
父親は富山県城端町(現南砺市)の生まれ、母親は愛知県豊橋市の生まれです。父親が水力発電所の職員であり、水力発電所はダムが必要なので中部地方の山奥ばかり転々としていました。
  まずは、出生は愛知県豊橋市の産科医院です。当時、両親は、岐阜県白川村に住んでおり、母方の実家のある豊橋市に里帰りでした。岐阜県白川村は、世界遺産にもなった合掌造りで有名ですが、御母衣ダムというダムがあり、父親はそこに勤務していました。
 このころのことは、幼少であったためよく覚えていませんが、幼稚園の給食のいかサラダが大嫌いでどうしても食べられなかったこと、食事の時間になっても親の言う事を聞かず、無理矢理腕をつかまれて連れ戻され、腕が痛くて接骨院に連れて行かれたこと(肘内障だったのでしょう)などは、なんとなく覚えています。
  その後、同じ岐阜県内の白鳥町に1年ほど移ったのち、静岡県の佐久間町(現在は浜松市天竜区)に引っ越しました。父の職場が佐久間ダムに移ったためです。この町には周波数変換所という設備も置かれていました。(東日本は50Hzで西日本は60Hzですが、この施設で東日本から西日本になど東西で電力を融通し合うことができる設備 通称サイクルチェンジ 東日本大震災のときの電力不足のときに少しだけ話題になっていました)当時は意味もわからず、「サイクルチェンジのほうに遊びに行こう」などと友達と話をしていました。
ここでは小学校1年から3年までの3年間過ごしましたが、山奥で自然に囲まれ、クワガタ採りやサワガニ採り、ヤゴ、ミズカマキリ、タイコウチ(若い先生やずっと都市部で生活した方には何かわからないかもしれません)なども近くの沼でつかまえていました。竿を使わず、針と糸だけでの魚釣り(カジカ釣り)、大きなハチの巣に石をぶつけて落とそうとしたり、製材所のおがくず置き場で1日で60匹以上カブトムシの幼虫を見つけたりなどということもあり、自然のなかで遊びまわっていました。
 3年生の旅行では電車で1時間くらいの場所にある長篠城(長篠の合戦の古戦場の近く)に行った覚えもあります。
  小学校4年生の春に新潟県湯之谷村(現魚沼市)に引っ越し。父が奥只見ダム(真保裕一のサスペンス小説 『ホワイトアウト』の舞台にもなった)に転勤。静岡から東京を経由して新潟に向かいましたが、上野から乗った電車では、本当に「国境の長いトンネルを抜けると雪国」でした。ここでは、水泳、野球、山菜採りなど、冬は毎週のようにスキーに通いおおいに遊びました。転校生でしたが、いじめなどはまったく無く、クラスメートが歓迎してくれ、今でもたいへん感謝しています。
ここでは、小学生のうちは、近所の子供たちと野球に夢中になっていました。人数が少ないので三角ベース(2塁ベースがなくて本来の3塁の位置が2塁で、ホームから1塁、3塁と三角に回ってくる)でした。缶蹴りという鬼ごっこの一種も流行っており、夢中になりすぎて、割れたガラスに気づかず、膝の下を10針ほど縫うけがもしました。隣町の外科の開業医の先生に診てもらい、局麻が物凄く痛かったのを覚えています。中学校の体育では、「3年生までに懸垂10回できるようになること」という課題がありました。そして、出来ない回数分お尻を思いっきりひっぱたかれるというペナルティーもありました。(今なら、体罰で問題になりそうです。)このときもクラスメートが昼休みに体育館の肋木にぶらさがる練習に誘ってくれ、1年生のときには、1回もできなかったものが、3年のときには懸垂15回くらいできるようになりました。当時は持久走やマラソンも苦手で、いつも最後尾3人以内に入っていました。ちなみに逆上がりもできず、スポーツテストでは呆然と立ち尽くすなど鉄棒も苦手で大嫌いでした。ところが今では、近所の公園の鉄棒で懸垂したり、職場のまわりをジョギングしたりということが「趣味」となっています。小さなことではありますが、人生どうなるかわからないと感じています。
 高校卒業のときに、また父親は転勤となり、三重県熊野市へ。私は一人暮らしとなりました。予備校生、大学生の間は熊野に帰省していましたが、名古屋からでも近鉄とJRを乗り継いで4時間もかかるところで1日がかりでした。気候はたいへん良いところで冬は暖かく、夏もさほど厳しい暑さもないところです。不便なところですが、観光地としては見どころも多く、スーパーで売っているカツオやマグロもたいへんおいしかった記憶があります。ぜひ一度行ってみてください。
 その後も実家は福井県大野市、熊本県人吉市などへの引越しがあり、父親の退職後にようやく母方の実家の豊橋に落ち着きました。
余計な思い出話も加わり、ほんとうに話が長くなってしまいましたが、どこの出身とは簡単に言えない生い立ちであることをお話させていただきました。

  次は当院総合診療科の土佐慎也先生にお願いしました。
 
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