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<ペンリレー>

発行日2019/07/10
秋田厚生医療センター  柴田 聡
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はじめての鳥海山は与謝蕪村
 
  2008年9月14日、秋大医学部バドミントン部の2年先輩である南谷佳弘先生に誘われ、鳥海山登山に初挑戦しました。それ以前の登山歴は、1979年頃、秋田高校の学校登山で太平山に登った1回と、1994年に北海道礼文島に2ヶ月間勤務した際、礼文岳に途中まで登った時の2回のみ。ただ、学生時代、バドミントン部で手形山を時々ランニングしていたこと、そして秋田大学第1外科に入局してから毎年のように秋田大学駅伝に出場し、誰も走りたがらない登りの4区(3.6km)を担当していたことから、“登り”には少々自信があり、比較的安易に「行きます!」と返答しました。
  メンバーは南谷先生とバド部同期の木村先生、バド部の学生2名、山の仲間1名を加え、計6名。
  御所野にある石井スポーツで、鳥海山に適した道具一式を揃え、準備万端。象潟口から登山開始したのが朝の6時頃。好天に恵まれ、絶好の登山日和。快調に登り、想定よりも早い時刻にほぼ頂上の大物忌神社に接近。もう少しで頂上!あとは降りるだけ!と、残りの力を振り絞って神社に到着しました。この段階で体力を相当使い切っており、真の頂上である新山(2,236m)の登頂アタックは断念。外輪山ルートの下山に備え、新山よりも7m低い第2の頂上である七高山(2,229m)に向けて移動を開始しました。新山よりも低いからと、たかをくくっていましたが、一旦下ってからの登りであり、急峻な斜面の移動距離はほぼ同じかそれ以上では、という印象。大きな岩の斜面というか、ほとんど崖のような斜面を登り、やっとの思いで七高山登頂。この時点で5時間しか経過しておらず、象潟口からとしては短時間で登頂できました。
  ホッと一息ついてお昼ご飯。七高山からは、日本海、男鹿半島、そして内陸部の山々が一望でき、疲れが吹き飛んだ心持ちでした。ちょうどいい風、気温、全てが完璧。ただ一つ、右膝が、チクチクしてきたことを除いては…。
  一時間少々休憩し、下山開始。最初はほぼ平らな外輪山の水平移動でしたが、右膝の症状がチクチクからジクジクに変わり、本格的な下山になってからはズキズキに…。悪いことは重なるもので、右膝をかばって酷使していた左膝にも同様の症状が…。下山開始1時間ほどで、両膝が等しくズキズキ痛み、膝を曲げることが困難な状況に。できるだけ膝を曲げずに標高2千メートルの山から一歩一歩下山する、これは難行苦行以外の何物でもありません。緩やかな下りはなんとかなりますが、急な岩場を降りるのは本当に大変でした。ただ、あくまでも急に膝を酷使したことによる急性の症状であり、外傷による腱や半月板の損傷ではないので、痛みにさえ耐えていればなんとかなるという安心感はありました。
  午後5時過ぎ、下山開始4時間頃、6合目賽の河原に到達。ここから1.9kmで駐車場がある5合目に着くのですが、その1.9kmが辛く、長く、約2時間を要しました。ただ、捨てる神あれば拾う神あり。こんな状況だからこそ経験できたことが2つ。賽の河原から10分ほど下ったその時、私たちの前にひょこっと姿を現したのが鳥海オコジョ。30秒ほど、わたしたちの前をチョコチョコ動いて、数時間に渡る両膝痛との戦いで折れかかった私の心を癒してくれました。登山客が大勢いる時間帯には現れないオコジョ。夕方になり、流石にもう人は来ないだろうと思って登山道に現れたら、あにはからんや人が4人もいたので驚いたことでしょう。オコジョと対面できたのは後にも先にもこの時だけです。オコジョに励まされ、残りの気力体力を振り絞って下山継続。時刻が午後6時に近づくと、夕日が日本海に吸い込まれていきます。その日の日没は午後5時50分。日本海に沈む夕日に向かって下山。ふと西の山頂を振り返ると、月が山頂付近から登って来るではありませんか。しかも満月!ネットで調べたところ、この日の月の出は午後5時8分で、方位は99度、すなわちほぼ真東。そして月齢は14.3でほぼ満月。決して幻を見たわけでなく、私の記憶は確かでした。与謝蕪村が1774年に詠んだ句、“菜の花や 月は東に 日は西に”の情景を彷彿とさせる世界でした。
  午後7時頃、月明かりとヘッドライトに導かれ、ようやく下山完了。先に下山していた学生たちを待たせたなあ?と思ったら、なんと彼らもほぼ同じ時刻に象潟口5合目に到着。話を聞くと、下山道を間違えて、象潟口でない登山口に降りてしまったとのこと。そこで、正しく下山してきた他の登山客に頼み、象潟口まで車で送っていただき、ようやく午後7時に戻ってきたと…。
  私の膝は、平地に戻った途端に痛みが軽くなり、帰路、皆で回転寿司に入った時にはほぼ普通に歩くことができ、翌日には階段昇降ができるまでに回復していました。そして2日後には、6時間以上に渡った難行苦行は素敵な思い出になり、次回こそ普通に下山するぞ、という気持ちがメラメラと湧き上がってきました。それ以来、鳥海山、駒ヶ岳、太平山を中心に毎年登っております。また、高校生の全校登山や、がん患者さんらと登る「がんサバイバー登山」のお手伝いなどもしております。
  山では素晴らしい場面に幾度も遭遇していますが、あの日のオコジョ、そして、“鳥海や 月は東に 日は西に”の情景は何ものにも代え難い特別な経験です。
  最後に、ゆっくりとしか動けない私のペースに合わせ、ゴールまで行動をともにしてくれたパーティーのメンバーに心から感謝します。
  さて、今年はどの山に登ろうか!

  昨夜、とある会でお会いした、秋田赤十字病院外科の宮澤秀彰先生に次を依頼中です!
 
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