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<ペンリレー>

発行日2017/12/10
秋田赤十字病院  朝倉 受康
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Aターンしてみて
 
  はじめまして、秋田日赤の朝倉受康(じゅこう)と申します。“Aターン”という言葉がいつ頃から使われ始めたのか分かりませんが、秋田に帰省するとニュースなどでよく耳にしていました。“Aターン”は秋田県出身者もそうでない方も、みんな秋田へ来てください!との願いを込めたオールターン(ALL TURN)の“ A ”と秋田(AKITA)の“ A ”をかけた言葉のようです。自分は秋田生まれ、秋田育ちですが、高校を卒業後に上京し、東京での浪人生活を経て、母校のある埼玉県毛呂山町に6年、研修医を始めた埼玉県川越市に6年、埼玉県さいたま市(旧大宮市)に8年過ごしました。秋田にAターンして4年目、現在の職場になって2年目になります。埼玉県は、母親の出身地ということもあり、元々馴染みのある土地ではありましたが、実際に高校まで過ごした秋田での18年間より埼玉県で過ごした期間が長くなり、すっかり第二の故郷になっていました。埼玉県南部は千葉県や神奈川県と共に、東京と一体となっているところですが、埼玉県北部は、テレビでも紹介されているように自然が豊かで、言葉も上州弁となり、ほぼ群馬県という印象です。浦和や大宮は都会的で東京も近い、しかも少し足を延ばせば自然もたくさんあり、生活するには非常に良い環境でした。近年は、サッカー好き(観戦専門)ということもあり、週末には埼玉スタジアムに足を運び、浦和レッズを応援したり、また日本代表の試合も観に行きました。浦和駅周辺には、レッズサポーターの集まる居酒屋があり、赤いユニホームを着て街を歩いていると、街の人たちから“今日の試合はどうでしたか?”と普通に声をかけられます。試合に勝った日は、スタジアムでの“We are Red Diamonds”の大合唱が荘厳な感じで、鳥肌が立ったのを覚えています。このように身も心もすっかり埼玉県人になりきっていたのですが、父から家業を継ぐ準備もあるからそろそろ秋田に帰って来いと言われました。秋田に帰ってくるにあたり、大宮生まれの子供達や東北に住んだことのない妻が、秋田に馴染めるのだろうか?子供の転校は大丈夫だろうか?という不安はありましたが、自分に関しては生まれ故郷に帰るだけなので特に深く考えることもなく、どちらかというと埼玉で長年築いてきたものを全て失うことが心残りでした。
  家業といっても開業医ではありません。私の実家は真宗大谷派の寺院で、父は住職です。開祖は、越前の戦国大名朝倉の一門で、越前三国城主織江橘守朝倉道景といいます。武将だったわけですが、山科を訪れ本願寺八世である蓮如上人の元で剃髪し、道受と改めました。本家である朝倉義景が織田信長に敗れた頃、四世受賢が海路で北に向かい、秋田に移ったと言われています。世襲制のため、私が二十三世になります。ではなぜ医者になったのかよく聞かれますが、私の父もいわゆる兼業坊主であり、言語聴覚士でした。父の職場の関係で、私が小学校1年生まで秋田労災病院の官舎に住んでおり、当時は現秋田厚生医療センターの添野先生や、当院整形の田澤先生も近所におり、色々とお世話になりました。そのような環境的な要因が少なからず医者になろうという思いに影響したと思います。父からは寺を継ぐなら何になっても良いと言われていたことも自分が興味あることに進むことができた要因だと思います。
  “Aターン”に話を戻したいと思います。秋田県もついに人口100万人を割ってしまったというニュースがありましたが、秋田県出身者で県外に出た人達の多くが秋田に戻って来ないという現実があります。実際に秋田に戻ってきた人の話を聞く機会はあまりないと思いますので、“Aターン”した感想、印象を述べたいと思います。あくまでも個人的な見解ですので、不愉快に感じられる方がいましたらすいません。秋田に戻った時の率直な印象は、高校生の時にみえていた秋田とは全く違うなということです。社会人として秋田で生活をしたこともないし、秋田の医療現場も知りません。私が社会人として養われた感覚は、埼玉というか関東圏での常識なわけで、そのまま秋田で通用するとは限りません。特に秋田における医者の世界では、高校の同級生ぐらいしか頼れるところがありませんので、地元ながら完全アウェイ状態で始まりました。秋田で働き始めて最初に感じた事は、言葉が悪いですが、“立ち入った話をしてくる人”“高圧的な態度の人”が多いなということでした。秋田は閉鎖的とか言われているけどそういうことかなと理解していましたが、些細なことの積み重ねが、次第に非常に大きなストレスとなっていきました。たまたま、自分と同じ時期に他県出身(他県の大学出身)で、わざわざ秋田で働き始めた同僚がいましたが、真剣な顔で「秋田って何でこんなに住み難いのですかね?」と聞かれ、自分と同じような思いである事が分かりました。残念ながらその時点では返す言葉がありませんでした。秋田に帰って来るまで人間関係であまり困ったことがなかったので、何が違ってしまったのか自分なりにかなり悩みました。東京近郊のことしか知らないので、首都圏の人たちということで話を進めたいと思います。都会といっても所詮は田舎出身の人が多いわけですが、皆さん都会的に見えます。埼玉にいるときは今以上に忙しい日々を過ごしていましたが、仕事上、対人関係でストレスを感じることは少なかったように思えます。それがなぜなのか?ずっと悩んで気づいたことは、おそらく大半の人が“適度な距離感”を持って人と接しているということでした。都会は出身地、生活レベルも様々な人が集まっていますので、都会暮らしが長くなると、皆同じように“適度な距離感”を自然に身につけていたのだと思います。医者の世界でも、出身地や出身大学が異なる人達が入り乱れていましたが、同様の感覚がありましたし、まして上に立つ先生は、物腰が柔らかく、むしろ謙虚な方が多かったように思えます。この辺りが、秋田との大きな違いではないでしょうか?秋田に戻って最初の2年ぐらいは正直辛かったのですが、3年目になりようやくストレスから解放され、仕事だけに集中できるようになりました。子供達や妻は何ら問題なく秋田に溶け込んでおり、秋田出身の自分だけが秋田への適応に苦しんだという何とも皮肉な結果になってしまいました。少々ネガティブな内容になってしまいましたが、自分も秋田にずっと住んでいたら気付けなかった事ですし、今では前向きに捉えたいと思っています。最近は、秋田は空気もおいしいし、人混みもないし、四季もはっきりしていて過ごしやすく、良いところだなと再認識しています。これからは秋田の良いところを発見していきたいと思っています。また“Aターン”して悩んでいる人がいたら力になりたいと思います。
  秋田では医者の人脈のない私ですが、次は当科の同僚で、私の高校時代の同級生の弟さんである佐藤隆太先生にお願いしたいと思います。

 
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