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<ペンリレー>

発行日2017/05/10
中通総合病院  佐藤 誠
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イクボス宣言!
 
  はじめに、聞いた人の3人に1人はウルっとくるという私の鉄板ネタをご紹介します。
 
  長男がちょうど3歳になったばかりの時、2番目の長女の出産で母親が入院しました。当時「年100回病院から呼ばれる」身であった私は長男を見てあげることができなかったので、彼を大仙市強首の妻の実家に預けていたのですが、「母親と離れて寝るのも初めて」「トイレが外にある強首のお家が苦手」なハズの長男が、一度も不平不満をこぼさず、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に過ごしているというではないですか。母親と赤ちゃんに面会に来た後も、ちゃんとバイバイして泣かずに祖父母と一緒に帰るんです。父親不要論すら飛び出しかねないほどのお利巧さんな長男の様子をみて、出産直後の妻も安心して入院生活を送っていました。ある日曜日の夕方、お父さんが強首まで送ってあげることになりました。ちょっと荷物を置いて来ようと一緒に自宅マンションに寄ったところ、彼は玄関に入るや否や堰を切ったように号泣し泣き崩れたのです。そう、たった3歳の長男つばさくんは、出産で大変な母親、心配してくれる祖父母、仕事で忙しいお父さんに気を使って、一生懸命何日も何日も泣かずに我慢していたんですね。そのあと私も大泣きしながら、しばらくの間彼を抱きしめてあげました。今でも思い出すだけで泣きそうになります。子育てっていいですね。

  年月が経ち後輩ができた頃、そんな私に絶好のチャンスがやってきました。3人目です。当院では、男子職員の育休取得例が過去にありませんでした。院長の次に忙しい私が育休を取ることに意味があります。上司1人、後輩2人の了解をもらい、院内各所にしっかりとロビー活動を行い、院長が絶対にNoと言えないような状況で申し入れをし、出産から2週間休めるという権利を獲得しました。2人目は予定日よりだいぶ早く生まれましたので、今度も予定日より少し早めから自分の外来予約枠を控えめにしていました。更に、当時国内留学として岩手医大循環器センターに在籍していた阪本亮平くんを1週間当院に派遣してもらえるように森野教授にもお願いしたりして、準備万端で予定日を迎えました。1日、また1日と待つ訳ですが、これがなかなか出てこない。結局、8日遅れで次女が生まれ、阪本くんはもう帰ってしまいました。そこから最初で最後の?父親と子供2人(3年生と年長組)のドタバタ生活が始まりました。
  早起きは得意です。前の日のご飯でおにぎりを作らないように妻に言いつけられたので、毎朝6時に起きて米をとぎ、朝食の準備をしました。食べた後すぐに洗い物をすればキッチンは散らからないとも言いつけられていましたが、3日しか持ちませんでした。幼稚園バスの迎えでは、先生の「パパさん大変でしょう」の何気ない言葉に、娘が汚いキッチンのことをばらしてるんじゃないかと疑ってしまう始末、主婦ノイローゼの始まりです。
  幼稚園の帰りは早いんですね。洗濯と買い物が終わって14時頃にはもう帰りのバスが到着します。「もっとゆっくりしてくればいいのに」、たった2週間の間に何度も思いました。休む間もなくまた晩御飯の準備です。子供には旬の食材を。秋だったので栗ご飯を炊いたり秋刀魚を焼いたりしてみましたが、結局焼きそばを作り直させられました。長女はふてくされた顔でよくリンゴを食べていましたね。
  状況が一転したのは週に1回のお弁当の日。5時起きで作ったキャラ弁大作戦が大成功。自分でも予想以上の出来栄えでした(もこみち?)。長女のひかりちゃんは、パパのキャラ弁で友達や先生から毎回チヤホヤされまんざらでもなかったようです。一度彼女の胃袋をキャッチした後は、親子らしい関係を取り戻しました。後で聞きましたが、その後幼稚園では一時キャラ弁禁止になったとか、期間限定のパパが張り切りすぎると、ママさん社会の和を乱します。皆さん気をつけましょう。キャラ弁効果で子供たちはお父さんの料理がうまいという錯覚に陥ったようで、夕食もガツガツ食べてくれるようになりました。味の素のCookDoをまぜただけでしたけど…。
  小泉潟へのバス遠足では、男は私1人だけ。子供は友達とどっかに行っちゃうし、先生の名前も知らないし。1人ぼっちの私に話しかけてきてくれたママさんは、いつも声が大きくてケバめの苦手なタイプのママさんでしたが、好きになりました。行きのバスの車酔いで顔色不良だったのが先生にバレて、帰りは一番前に乗せてもらいました。幼稚園の先生は、親の顔をよく見てるものだな~とあらためて感心しつつ、帰りもやっぱり酔いました…。
  後半の1週間は、阪本くんはいないし、ずらしていた予約外来がかえって混んでるしで、さぞかし残ったスタッフの方々は大変だったろうと思いますが、こっちもそれどころではありません。妻と次女が退院してきました。泣いてばっかりだし、お風呂は大騒ぎだし、すぐうんちするしで。赤ちゃんってあんなにうんちするんでしたっけ?思えば上2人はまともに育児に参加しなかったしな~。

  まさに最初で最後のドタバタ育児生活は、あっという間に終わってしまいました。育休というよりは、育児体験程度だったかも知れませんが、私にとっては貴重な経験となりましたし、子供はもちろんですが、何より大切な妻に対して日ごろ言葉に表せない感謝と気遣いを形にできたというか、証明できたというか、アリバイができたというか、そういったpleiotropic effectが、2年経った現在にも多めのお小遣いという形で表れているのだと思っています。
  我こそが職場で一番忙しいというヤツが育休を取ることが、職場へのメッセージになります。その後当院では、ナースマンや事務職員の育休がちらほら発生しているようです。自身の体験があってこその共感があります。自分の育休取得の際に職場を手伝ってくれた後輩たちには、是非とも続々と子供を作って続々と育休を取ってもらいたい。そう願っています。「イクボス」への道が始まりました。
 
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