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<ペンリレー>

発行日2017/04/10
市立秋田総合病院  津田 聡子
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夜間カレー
 
  ペンリレーに何を書こうか迷ったのですが、最近の私にとっての一大イベントはやっぱり上の子が今春小学校を卒業したことでした。子供が生きてきた分私は親として生きてきたわけで、いろいろあったけどお互い何とかここまでよくやってきたねと背中をたたいて健闘を称えあいたい気分です、ちょうど背丈も同じになったことだし。これから親離れしていくんだろうなとうれしさと寂しさの入り乱れた気持ちに区切りをつける記念として育児を振り返りたくなりました。気分はもはや会報ではなく記念文集です、申し訳ありません。
  仕事と両立は大変だったでしょとよく言われましたが、子供たちは保育園でたっぷり遊ばせてもらい、調理師さんの作った昼食とおやつを食べさせてもらっていたので、病気の時以外は仕事中に子供の心配をしたことがなく、仕事をしているときのほうが却って安心なくらいでした。むしろ大変だったのは仕事のない日つまり保育園が休みの日でした。夫が仕事でいなければ一人で離乳食と幼児食と大人食と3パターンを準備して子供たちに食べさせていましたが、おむつ交換やトイレのお世話で中断してばかり。手がガサガサになるくらい何度も手洗いして、やっと作った離乳食を食べさせようとしたら子供が寝てしまっていたこともよくあり、そんな時は痩せてないし保育園で食べているから家で食べなくても大丈夫と自分に言い聞かせていました。一日家にいても育児以外は何も出来ず、掃除も出来ず洗濯物も畳みかけのまま一日が終わったこともあり、仕事をしていた時と比べてなんという境遇の差だろうとしみじみ思ったものでした。
  前置きが長くなりましたが、我が家に夜間カレーが登場したのはそんな頃です。当時私たち夫婦が務めていた病院には22時からの当直業務のほかに17時から22時までの夜間外来業務があり、若手が当直、ベテランが夜間というのが暗黙の了解でした。ところがある日夫が私に「しばらく当直じゃなくて夜間外来にしてもらったよ。その方が俺が朝はいるから少しでも楽でしょ」と言いました。その言葉にほっとしたのを覚えています。他にも二人で毎日が楽になる作戦をいろいろ考えました。埃が少々あっても大丈夫だよね、掃除はできるときにやれば良い、食事は一汁一菜でいいよねから一菜でいいよねに変わりました。それから夫が夜間外来業務とわかっている日はあらかじめ前日にカレーを作り置きするようにしました。これが夜間カレーです。カレールーを入れる前に子供たちの分を取り分けて、離乳食には薄味をつけてすりつぶしたり刻んだり、幼児食には子供用カレールーで甘めに味付けして具も細かくしました。食事の時はどれだけこぼされても大丈夫なようにテーブルの下に敷物を敷いて、子供たちにポケット付きの前掛けをつけました。これなら上の子が一人で食べるのを見ながら下の子に食べさせることが出来たのです。子供たちもカレーが好きでスプーンで一所懸命食べていましたが、なぜか最後は手づかみで顔中カレーだらけになってご馳走様のパターンでした。
  その後また夫が当直をすることもあり、泊まりの出張もあり、たまに私の出張もあり、そういう時もやっぱり夜間カレーでした。子供が成長するにつれ、甘口カレーをみんなで食べられるようになり、大人は適時辛味をトッピングするようにしていました。勤務先が変わって夜間外来と呼ばなくなり、今はお互い月曜日が遅くなるので、日曜日に作っておく月曜カレーになりました。小学生になった子供たちになぜ家はカレーが多いのかと聞かれて気づいてたんだとびっくりしました。飽きないようにカレーの肉を変えたり、シチューにしたり、具を変えたりバリエーションをつけるようにしています。最近は子供が塾に行きだしたのでその帰りを待って食べる遅めの夕食はやっぱり夜間カレーです。学校のこと塾のこと競争するようにしゃべる子供たちに相槌を打ちながらも、お腹が空いているのでスプーンは休みなく動かしています。
  甘口カレーのような子供たちの無邪気な幼年時代は二度と戻らないと思えば寂しいですが、子供はぐんぐん成長し大人は少しずつ老いていき家庭のカレーも変わっていくのが当たり前、どのように変わっていくのか、変わっていこうか、未来を思いながら日々過ごせることが単純にうれしいのです。

  次のペンリレーは以前同じ職場でお世話になった秋田厚生医療センターの添野武彦先生にお願いしました。趣味のコーラスでもご活躍され、野菜作りの達人で、夏には立派な野菜を頂きました。お会いするときはいつも笑顔の素敵な先生です。
 
 ペンリレー <夜間カレー> から