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<ペンリレー>

発行日2017/03/10
なべしま眼科クリニック  佐藤 徳子
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私の相撲大好き人生
 
  今年の大相撲初場所では稀勢の里が初優勝を果たし、横綱に昇進しました。19年ぶりの日本人横綱誕生に多くのファンが感涙を流し、明治神宮での土俵入りには1万8000人が集まったそうです。新年早々から角界は大いに盛り上がり、子供の頃から大相撲ファンの私にとってこんなに嬉しい年明けはありませんでした。
私の相撲好き人生は物心ついたときには始まっており、35年以上たちます。場所中は祖父の友人である好角家じいさんが毎日やって来て我が家でテレビ観戦していましたから、私も夕方のアニメ番組を我慢し相撲を観て育ちました。
  最初のお気に入りは高見山です。もじゃもじゃのもみ上げに愛嬌のある優しい顔立ち、ハスキーな声が、幼児にとっては親しみやすいものでした。その当時は番付や取組内容は全く理解しておらず、高見山の最高位や引退時の番付は大人になってから知りました。
  その後、横綱千代の富士が誕生すると、高見山贔屓はあっけなく千代の富士に乗り換えます。この頃には横綱が一番、次が大関、ということくらいは理解しており、苦虫を噛み潰したような怖い顔をした北の湖よりも、役者のような顔立ちの千代の富士の方が正義のヒーローに見えました。他には高田みづえと結婚した高嶋津や寺尾も好きでしたが、振り返るとこの頃はそっぷ型(=細マッチョ体型)のイケメン力士が好みだったようです。私の相撲ファン人生最初のピークは小学校時代と重なり、稀勢の里の師匠だった隆の里、現相撲協会理事長の北勝海、現在はスイーツ親方として女子に人気の大乃国たちが横綱として千代の富士としのぎを削っていました。私にとって、今でもこの時代の横綱たちが理想像です。
  中学、高校と大きくなるにつれて勉学が忙しくなると、相撲を観る機会はだんだん減っていきました。ハワイ出身力士が活躍し、若貴兄弟がアイドル並みの人気を集めていた頃です。威厳と風格に満ちた昭和の名力士たちを見て育ったせいか、新時代の関取たちになじめなかった時期でもあります。ずっと応援していた千代の富士が当時18歳の貴花田(のちの貴乃花)に敗れ引退を決意した時、私の相撲熱もひと切りついたのでした。
  とはいえ、ここで相撲ファン人生が途絶えたわけではありません。大学入学時に新調した自転車に“旭道山”と名付けたり、同世代大関の栃東や千代大海の綱取りを祈ったり、20代の頃も細々とファンを続けていました。生真面目な“角界のロボコップ”こと高見盛は特にお気に入りで、お声がかかればお嫁さんになりたいと考えていたくらいです。(残念ながら未だお声かからず…)
  その後、いつの間にかハワイ出身力士は姿を消し、続々とモンゴルや東欧出身の力士が入幕するなど角界は大きく変わりました。私の30代は日本人力士不振の時代と重なり、さらに横綱朝青龍の暴行事件と引退勧告、野球賭博問題や八百長問題などの不祥事が続き、ついに本場所休止にまで追い込まれます。私の相撲熱もすっかり冷めかけた時期ですが、そんなどん底時代でも着実に成長していく力士たちがいました。さらに、再起をかけた日本相撲協会の努力の甲斐あって相撲人気は少しずつ回復し、ここ数年は連日“満員御礼”の垂れ幕が下がるようになっています。相撲好き女子=“スー女”なる言葉も生まれ、新しいファン層も開拓されました。
  私の相撲大好き人生、40代となった今は、千代の富士以来の第二のピークとなっています。ただ勝つために品のない取組を見せる上位力士が少なくない中、正々堂々とぶつかり合う姿勢を貫く稀勢の里には共感するものがあり、ずっと応援してきました。この度の横綱昇進は格別の喜びです。また、彼に追随する若手もどんどん育っており、星の数だけでなく相撲内容も文句なしの品格ある関取の誕生を期待しています。
  子ども時代からのミーハー的な楽しみ方も健在です。遠藤や勢のようなイケメン力士に胸をときめかせ、一方で年齢と共に守備範囲が広くなり、今では宝富士のようなアンコ体型(=真ん丸体型)にも萌える毎日です。逸之城のような若い力士に対しては、母のような気分になってしまいます。
  今、とってもアツくて盛り上がっている大相撲、来場所以降も目が離せません。日本の伝統ある国技が末永く続くよう、これからも相撲ファンとして応援し続けたいと思います。
  次回のペンリレーは、大学時代の学友、市立秋田総合病院の島田俊亮先生(小児循環器内科)です。
 
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