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<ペンリレー>

発行日2017/01/10
市立秋田総合病院  長谷川 傑
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格闘技好きのネジが外れる瞬間
 
  父親の実家に5歳ほど年上の従兄がいました。小学校時代に実家に遊びに行くと、よく面倒をみてもらったものです。その兄弟は兄の方が走り幅跳びでインターハイに出場し、弟の方はボクシング青森県代表(筆者は青森県出身です)でマレーシア遠征に行くなどスポーツマン兄弟でした。運動音痴だった私はこのちょっと年上の兄弟に憧れていました。特に弟の方にくっついて自宅倉庫に吊るしてあったサンドバッグを一緒に叩いたり、ジャブ、ワンツーなどを教えてもらっていました。
  時が過ぎ大学に入学した時、同じ高校出身でボクシング部だった友人と格闘技系のサークルを作ることになりました。レスリング経験者も誘い、「総合格闘技サークル・ARES」を結成しました。ギリシャ神話の戦いの神を冠した名前よりも、今では普及した「総合格闘技」(Mixed Martial Arts:MMA)という呼び方も当時はまだ一般的ではなかった中で使ったのは先見の明があったのでしょうか(笑)。まあ、実際は県でフェザー級・ライト級を制覇したボクサーの友人に軽く揉んでもらう程度でしたが・・・。その後少しずつ部員が増えましたが、私は専門課程に進み解剖実習が始まると、忙しいのと手を怪我するわけにいかないので、活動を休止してしまいました。そして働き始めてからは自分で格闘するということは頭から離れていました。
  30代半ばになり業務にも慣れて後輩ができるようになり、若干の余裕ができた時に、ふと運動でもしようかと思い立ちました。昔携わっていた格闘技に未練があったのか、パンチミットやキックミットを構えて打ち合う同好会的なものを立ち上げました。立ち上げ時は病院の地下、遮蔽の効いたRI室で夜な夜なバシバシと音を立てていたことから、「地下ファイトクラブ(Underground Fight Club:UFC)と名付けました。当時急成長して人気もあったアメリカのUltimate Fighting Championship:UFCに語呂合わせしたものです。
  ある日、メンバーの一人であった某飲食店の店長さんが、元キックボクサーだったのですが、「湯沢から今でもキックのジムをやってる知り合いを連れてきます」と言いました。そして仙台に本部があるドラゴンジムの秋田支部(湯沢市)の支部長がやってきました。私より3~4歳年下の方です。練習に付き合ったついでに、湯沢でイベントやるからどうぞ!とイベントのチケットを数枚頂きました。当時K-1ファイターであったニコラス・ペタスがエキシビジョンで出ると聞き、喜んで観戦に行きました。そのオープニングファイトのコーナーでの数試合が、かなり初心者的な試合でしたので支部長に尋ねると、始めて半年程度の人たちだそうです。なんだか自分でもできそうな気がして「俺も出られますかね??」と聞いたら軽く「やれるやれる!やるか?」と返されました。
  試合観戦のハイテンションも手伝い、「お願いします」と言ってしまいました。
  今思えばこれが私のネジが外れた瞬間でした。
  その後正式に入門しましたが、当時は湯沢と大曲にしか支部活動がなかったので、週に一回は大曲に通いました。他に数日は秋田市で前述のUFCでキックミットを蹴る日々が始まりました。入門から半年が経過し、仙台市で開催されたA-leagueという大会でデビュー戦を行いました。1R 2分00秒、レフリーストップにより壮絶(?)なKO勝ちを収めました。約3年の間に3戦して2勝1敗(2KO)となったところで38歳だし勝ち越しで引退しようと決めていました。3戦目の半年程前、人口の多い秋田市にも支部を・・・という本部の意向で秋田市にも支部が出来て通いやすくなったため引退したといっても時々ボクササイズ的に通っていましたが、色々と業務が忙しくなり、若干足が遠のいていました。
  2016年になり、引退から5年半が経過した正月、「湯沢で新年会をやる。仙台から会長も来るから来ないか?」と誘われました。その席で「先生、今年は秋田市でイベントをやるぞ」と来たので、「リングドクターですか?いいですよ」と返したところ「違?う!選手だよ!」と言われてしまいました。「いやいやいや?。もう歳ですから」と言ったのですが、「先生より5歳も上の俺だって出るんだ」と来ました。この会長って、イベントに○○団関係者がやっかみを入れてきても、事務所まで行って喧嘩してでも関係を持たせないという哲学を持った方で、いつも周りには人がいる、なんか憎めなく勢いのある人なんですよね。1時間ほど説得された後、何故か「分かりました」と言ってしまいました。帰り道、迎えに来てくれたかみさんの運転する車の助手席で「なんて事を言ってしまったんだ・・・」と後悔するも遅く、話はとんとん拍子で進みます。すっかりぐうたらな生活に慣れ、体重も86kgまで増加していた私はデブキャラで通っていたのですが、70kg契約の試合とのことで夏前から減量を始めました。
  11月27日、試合の計量の際には69kgでパス。実に4ヶ月で17kgを落として試合に臨みました。1Rの開始1分も経たないころ、こちらの放ったローキックが防御した相手の膝を直撃しました。試合中のアドレナリンとは恐ろしいもので、痛みは感じませんでしたが異様な痺れがあり、動きも悪くなってしまいましたが3Rを闘い抜き、3-0の判定で勝利しました。勝ち名乗りを受け、リングを降りた瞬間から、何かが降臨してきたかのように右足に激痛がこみ上げてきました。右足の中足骨を骨折していました。
  翌日出勤しましたが、午後にはギプス固定となり、車も駐車場に置きっ放しで松葉杖となってしまいました。加重制限ですが、気管挿管・手術・各種穿刺の時はちゃんと立って仕事をしています。しかし院長先生からは部屋まで来て大目玉を食らってしまいました。ということで生涯戦績4戦・3勝1敗(2KO)で私の格闘キャリアを終えることとなりました。更におまけですが、運転できない現状では子供の送り迎えもできず、ゴミ出しもできず、役に立たないので家庭内では冷たい空気が流れています。
  ちなみにイベントはチャリティームエタイイベントと題しています。収益の一部と募金を6万円という少額ではありますが、児童養護施設へ寄付させて頂きました。
 
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