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<ペンリレー>

発行日2017/01/10
えのきこどもクリニック  榎 真美子
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「ホジナシ」は続く、どこまでも
 
  ある日の外来、患者さんのお母様と「子どもたちが育ってきて、人間だからよいところも悪いところもある。子育てをしていると、自分自身のどうしようもない部分、かくしていたはずの部分が見えてはっとする、そんなことってありませんか?」という話をしたことがありました。
  亡き父は、私のことを「あんなひどい女はいない。でも、男だったら最高だったのに」とこぼしていたといいます。幼少時から独立心旺盛で失敗や無駄が並外れて多かった「ホジナシ」の私。そんな私に父は大声をあげたことはなく、口出しもせず見守ってくれたおかげか、一旦他の学部に入ったのに、こっそり医学部を再受験し、今に至ります。子どもたちに声を張り上げる私に父は「子どもに大声を出すな」とよく言ったものです。そんな父の地声は怒鳴っているとしか思えない程大きかったのですが。この父からの宿題に、最初は気が遠くなったものです。それでもなんとか頑張っているのですが、見通しのたたない父からの宿題がまだ他にも・・・。
  私は、ふたり姉妹の長女で、妹は大学から東京で、今では東京暮らしの方が長くなりました。生家は代々農業を生業としており、私は、父の遺志で田畑山林家屋敷を相続することになりました。父を十分に介護出来なかった私は、父が病床で「小屋にある、お膳一式を捨てないで欲しい」と言ったことまで心に留め、ただでさえ仕事と家事育児で疲労困憊しているのに、「父からの宿題」に悪戦苦闘し、数年が経過しております。
  手始めは、突然出てきた日本刀でした。慌てて警察に届け、県教育委員会の鑑定会へ行きました。ご先祖様が苗字帯刀を許された農民だったということらしいのですが、錆びだらけの日本刀はあの時警察で処分してもらうべきだったと今になり大変後悔しています。
  父は全く採算が取れない稲作を続けておりました。私も高校までは農作業を手伝ったものですが、この生活から抜け出すぞ!というのが勉強の大きなモティベーションだったのに、結局農地を引き継ぐことになります。やっと委託先が見つかり、現在は休耕田にせずに済んでおります。売却も試みておりますが、買い手がいません。山林原野はお手上げです。やはり父に連れられ、山林の下刈りをさせられた記憶があるのですが、今となっては所在もわかりません。細分され、境界杭のない山林原野を今後どうしたらよいのでしょう。細分された不動産を筆数分相続する手続きは、司法書士さんにお願いしたとはいえ、ものすごい労力と費用でした。資産価値はもちろん全くありません。この思いを子どもたちにさせる訳にはいかないというのが私の原動力であり、狂気の沙汰が続くことになります。
  まず向かったのが、家系図の作成です。後ろめたい気持ちなく、諸々の処分を遂行する決意表明のようなものでした。当初ネットで検索したら、数十万という法外な価格で作成する悪質な業者もいて、疑心暗鬼になっていたところ、紹介された若手のK行政書士が、初めての依頼ということで、廉価で引き受けてくれました。K行政書士からの中間報告の弾んだ声に「K先生、もしかして楽しい?」と聞いたところ、「はい!とっても」とのこと。K行政書士、戸籍だけでなく、菩提寺の過去帖まで調べ、和綴じ製本の渾身の家系図が完成しました。後々、この家系図片手に、ご先祖様や夢枕にも立たない両親に、この世から呟き、時には叱責することになります。
  次に向かったのが掛け軸です。K行政書士が、表装の腕では絶対というFさんを紹介してくれました。Fさんにはその後長くお世話になることになります。その数、傷み具合、何が何だかわからない代物が広げられた座敷のその光景に眩暈がしたのですが、ここで私がやらなければ、子どもたちが・・・という思いで、歯を食いしばります。佐竹曙山幼少時の筆が見つかったのですが、あろうことにどこかの時点で機械表装されていて、しかも、落款部分が切り落とされているではありませんか!仏壇にむかって「犯人は誰なの!?」と叫んだところで虚しく、とにかく機械表装されたものの中から修復するものを選び、早急にFさんに持ち帰ってもらいました。水神様などは「捨てる!」と決めました。覗きにきた近所の方が「あなたのお父さんには出来なかったことだな」と呟きました。費用の問題で数年かけることになった軸の修復ですが、誰のお筆で何と書かれているのか、どうしてもわからないものが数点ありました。そこで、菩提寺の住職に相談したところ、先住にみてもらえることになりました。先住、その中の二本を釈宗演のお筆だと言うのです。釈宗演は、明治時代鎌倉円覚寺の管長をつとめ、夏目漱石の「門」は漱石が釈宗演に参禅した際の経験をもとに書かれたという高僧です。先住も住職も奥様も、「あなたの先祖はお寺のために力を尽くした人だから」と喜んで下さったのですが、私は半信半疑。この軸の修復にお金をかけるべきか如何。そこで、以前勤務した病院の事務職員で現在は某寺院の住職の私の執事Tさんに相談。「これは私に『なんでも鑑定団』に出ろということか?」という鼻息の荒い私に、名執事Tさんはこう言いました。「先生、偽物でもいいじゃないですか」と。その夜は、ドロドロに疲れ、インフルエンザかのような全身関節痛でした。諸々のバチがあたったのかもしれません。
  数か月後、Fさんから「軸の修復が終わりました」と連絡があり、再び生家へ。Fさんと床の間に掛け、安堵したのも束の間、それまでみて見ぬふりをしていた木彫りの天神様や土人形をなんとかせねば。小さな土人形は八橋人形伝承館で見てもらい、江戸時代の八橋人形ということがわかり、綺麗にしてもらい、今では我が家のリビングにちょこんと座っております。天神様は、修復のしようがなく、十分お役目を果たしてくれたということで、八橋の菅原神社へ納めました。菅原神社は、その名の通り菅原道真を祀り、古い天神様を本殿の下に納めてくれるということを今回初めて知りました。お世話になった神職のOさんに後光が射してみえました。
  昔、冠婚葬祭を自宅でやっていた時代、本家なら必ずあったというお膳一式に徳利、燭台などなど。父が病床で「お膳一式を捨てないで欲しい」と言ったばかりにずっと気になっていました。そして、とうとう封印を解いたのですが、その数や!!! ここで無駄なことばかりしてきた性で、ついすべて出し、洗って、拭いてしまったのですが、一体今後どうしたらよいのでしょうか?使われることのなかった漆器類は、歪んだり、割れたり。大方処分したものの、使えそうなものはとりあえず保管しております。何十年としまわれていた食器類を整理しながら、「これを父は残せといったが、生きている間使ったことはもちろん、気に掛けたこともなく、死ぬ間際になって思い出しだけではないか!何がひどい女だ。男にこんなことまでできるか~」と怒りに震えるのでした。
  実は、私は学生時代から細く細く裏千家で茶道のお稽古を続けており、後日お茶事で、生家のお椀を使わせて戴く機会がありました。また、お稽古の時、お床の禅語をとても楽しみにしており、お軸の扱いも教えてもらっておりました。溜息をつく私を叱咤激励してくれる師匠や先輩方もおります。唯一の趣味がたまたま茶道であったのも巡り合せと思い、子どもたちには残さないつもりですので、いつか処分するその日まで少しゆっくりと向き合っていこうかと思っています。
  平成28年春、学会に合わせ、子どもたちと妹一家と一緒に父の分骨を総本山に納めてきました。京都臨済宗妙心寺納骨堂には赤い字のご位牌が少なからず並んでいました。赤字は生前戒名なのだそうです。何を思い、どんな事情で生前戒名を準備しているのかわかりませんが、早くに両親を亡くした私も、つい「自分が死んだら」と考えてしまいます。子どもたちのためにも「父からの宿題」に今後も奮闘することになります。皆様アドバイスをどうぞ宜しくお願い致します。
  以上でお分かりのように、相変わらず無駄なことばかりやって、「ホジナシ」と呼ばれた子どもの頃とちっとも変っていない私。うちの3人の子どもたちももちろん愛すべき「ホジナシ」・・・・で、それを見て、はっとする日々です。
  冒頭に戻ります。お子さんのことも、そして親御さんご自身のことも、愛おしい存在であると一瞬でも感じてもらえるそんな診察室でありたいと思っております。
  ペンを、なべしま眼科クリニックの佐藤徳子先生に渡させて戴きます。
 
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