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<ペンリレー>

発行日2016/10/10
市立秋田総合病院  千葉 満郎
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の ん び り
 
  ペンリレー前任者の小泉ひろみ先生から、伺ったことがある。小泉家の家訓は「才能がないなら、将来生きながらえれるように医師になりなさい」である。そういうことで医師になったと。先日までのNHK朝の連続テレビ小説「トト姉ちゃん」で家訓がでてくる。この小説の時代は1930(昭和5)年である。戦後 満州からの引き揚げ家庭であったわが家にも、家訓のようなものが 父の毛筆で書かれてあった。「貧乏は好ましからぬものなるにつき これにとりつかれぬようにせよ」であった。私は運よく医学部に合格し医師になった。
  私は宮城県の片田舎(現:大崎市岩出山、旧:玉造郡岩出山町)で育った。高校卒業後は弘前市であった。秋田市には1984(昭和59)年より住んでいる。すなわち30年余になる。妻からの話である。器具、装置が故障し、出入りの人にみてもらうと、「奥さん 部品だけ交換すればまだ使えっす」ということが多く、「新しいのを買った方がいいっす」とはめったに言われないとのことである。県南のわが家を建てた大工の棟梁に工事の見積もりを依頼してもなかなか持ってきてくれない。催促されてようやく持ってくる。工事が終わっても請求書はこない。年末になるとようやく請求書が送られてくる。多くは最小の経費で期待されていることをやってくれている。これらは 一般に「商売っ気がない」と言われそうであるが、私はむしろ好感である。
  秋田のキャンペーンに、「あきたびじょん」として菅笠、襦袢、野良着をまとったおばこの写真がある。彼女の名前は柴田洋子さんで、秋田医報でもふれられている。1)農作業を好んでいるようにも、嫌っているようにも見え、謎めいた表情で私にはモナリザ が連想される。あの写真は63年前の写真である。現代的な女性でなく、懐古的な写真をよくも秋田のキャンペーン写真にしたものだと思う。秋田県 観光文化スポーツ部観光戦略課あきたびじょん室(室長 成田光明氏)と知事(佐竹敬久氏)の英断である。
  迅速をモットーとする現代社会に逆行するような「のんびりnon-biri」という大胆な名前の雑誌があることを知った。これはのんびり合同会社 のんびり編集部の編集(編集長:藤本智士氏)であきたびじょん室が発行している。のんびり編集部の雑誌名「のんびり」への意図が毎号2ページ目に掲載されている。写真1は2016年 16号 (Spring) の2ページ目の「のんびりまっすぐ秋田のくらし」である。写真2は2012年創刊号表紙である。Non-biri はびりではないとユーモアがある。秋田県のみならず、先進国に共通した課題に対処しようとする情熱が感じられ、応援したい気持ちにかられる。素晴らしいビジョンvisionである。全国のより多くの読書希望に対応するため、雑誌 のんびり はやめ、今度はWEBマガジン なんも大学 http://nanmoda.jp として始めるとのことであった。本がなくなるのはさみしいが、 発展的解消のようである。
  のんびりと生活したいものである。

  次回はしばしば患者さんをご紹介いただいております武田正人先生にお願いします。
                    
1) 高階 高。或る「秋田美人」のこと。秋田医報 2013; No. 1413: 59-60.
 
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