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<ペンリレー>

発行日2016/04/10
秋田赤十字病院  田村 真通
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自転車の思い出
 
  いままでにいろいろなスポーツに関わってきたが、「好きこそものの上手なれ」が真実ではなかったことだけは確かである。残念ながらどれもこれも中途半端なレベルで現在に至っている。ただ趣味と言える様なものがあるとすれば、それはやはり体を動かすことだろう。古い話で恐縮だが、自転車の思い出を書こうと思う。どこかで似たような文章を書いたこともあるので、あれっと思った方にはご容赦願いたい。
  高校卒業後、浪人生活を経て私は大学生として秋田にやってきた。ある日ふと、夏休みに自転車で帰省することを思い立った。実は中学生の頃、サイクリングにはまっていた。中学入学時、当時はやりの5段変速・セミドロップハンドルの自転車を買ってもらったことがきっかけであった。初めての遠出は、約25㎞先の瓢湖(ひょうこ)まで白鳥を見に行ったことである。地図を見てひたすら国道49号線を走った。早春の越後路はまだまだ寒く、手袋をしていても相当に手が悴んで、最後は痛痒かったことを覚えている。ただそれを除けば実に気分爽快だった。以来、暇を見つけては遠出をするようになった。しかし高校時代は、自転車自体は相当にグレードアップされていたにも拘らず、単なる通学の道具に成り下がっていた。部活やら何やらで人並みに忙しかったこともあったのだろう。
  さて話を戻そう。思い立ってすぐに地図を購入し検討した。基本的に国道7号線あるいは日本海沿いにただ南下すればよく、道に迷うことはなさそうだった。秋田から酒田までは国道7号線、酒田で海沿いにルート変更し湯野浜温泉、由良温泉を経由して鶴岡を超えたところで7号線に再合流する。あつみ温泉駅、鼠ヶ関を超えると新潟県。再び7号線を離れ、海沿いにある名所・笹川流れを経由して村上市内へ突入、再度7号線に合流、後は一直線に新潟市まで行く計画を立てた。道のりにして約270~280km、それほどの山越えもない。平均時速20㎞としても14時間、もしかしたらもっと速く走れるかも、だからきっと一日で行けるだろうと考えた。
  なるべく涼しい午前中に距離を稼ごうと考え、朝5時出発、天候は快晴。下宿のおばさんがお弁当を持たせてくれた。ペダルを踏む脚は快調で、難なく秋田県を通過、予定通り酒田で7号線から海岸通りに移動し、そして再合流、もう少し先のあつみ温泉駅周辺で昼食休憩となった。残り120km、このペースでいけば、予定より少し遅れる程度で到着するだろうとホッとした。
  鼠ヶ関を超え新潟県に入ったところで、これまた予定通りに海岸沿いに進路をとった。道のりにして40㎞、山道(葡萄峠)を避けることが賢明と考えてのルート選択だったが、海沿いの強烈な日差しと風は誤算だった。浪人上がりかつトレーニング不足のにわかサイクリストの体力を奪うには十分すぎた。8月の日差しは厳しいものだったし、海風もただ熱風のようで少しも優しくはなかった。時速20㎞など、とてつもないスピードに思えた。村上についた時にはすでに夕暮れ時を超えていた。あと60km、ここでトラブル発生。村上市内で国道7号線に合流するはずだったが、なぜかうまく合流できず、ただ市内をぐるぐると回っていた。すっかり日も暮れた中で方角を見失い、気が付くと7号線を秋田方向に走っていた。この頃から、脚、肩、腕、背中、そして尻までもが痛くなって、サドルにまたがること自体が辛くなってきた。気力だけを頼りに新潟市内の自宅に到着した時は夜の10時を回っていた。都合17時間のサイクリングだった。復路も自転車で帰るという選択は、この時点ですっかり消えていた。
  その当時の無茶を思い出すとその計画のずさんさが恥ずかしい。若気の至りであろう。半面、よく無理が利いたなとの感慨もある。若さの特権であったのだろう。当時は辛いと思っただけだが、今思えば楽しかったとも感じられる。年を取ったせいかもしれない。最近は自転車に乗ることもめったになく、これといった運動もしていない。これではいけないと考え、数年前からできるだけ歩いて通勤することを心掛けている。結構気持ちのいいものである。ふと、かつて自転車で帰省した道をいつか歩いてみたい、と思った。

  さて次に原稿をお願いしたのは、いなみ小児科ファミリークリニックの稲見育大先生です。「ついこの間、書きましたよ」と言いながらも快く引き受けていただき、感謝、感謝です。
 
 ペンリレー <自転車の思い出> から