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<ペンリレー>

発行日2015/08/10
かがや内科医院  加賀谷 学
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Drホジキン と Dunster と 化石海岸
 
 仕事後自宅に帰ってからお風呂でぼーっとしているときや、さあ寝ようと枕元の電気を消したあと、暗い中にもなかなか眠りにつけないときなど、たびたび思い出す光景があります。遠い日の思い出ですが・・・。2つばかり話をさせてください。
 まず1つ目の話。
 ちょうど2000年から約2年間、英国ロンドン大学キングスカレッジに留学していました。1990年代にキングスカレッジの医学系部門とSt Thomas病院、Guy’s病院が合併した経緯もあって、私の所属していた研究室はLondon Bridge駅のすぐそばのGuy’s病院を中心としたGuy’s Campusにありました。Guy’s病院は悪性リンパ腫のホジキン病やホルモン異常疾患のアジソン病が最初に発見されたというロンドンでも歴史のある病院のひとつであります。そして私の研究室の入っていた建物はまさにDrホジキンの名前を冠するHodgkin Buildingの5th Floorにあり、その建物の正面口付近にはホジキンさんの胸像がありました。
 さて、留学して間もないころのことです。朝出勤時にわたしの研究室の仲間の多くがその胸像に向かって“Good morning”と声をかけているのに気が付きました。この光景を見たわたしは、なるほど胸像になってからもあいさつを受けるなんてやはりDrホジキンは相当すごい人なのだと感動しましたし、さらに胸像に敬意をはらう研究室の連中もなかなか礼儀正しいものだとひどく感じ入ったのでした。後日、研究室の仲間と一緒に飲む機会があった際にその感動を伝えたところ、なぜか急に皆が爆笑しだしました。「あれは胸像の横に立っている警備員にあいさつしていたのだ」「あの警備員はGood morningと言っても軽く手を挙げるくらいの返事しかしないので、気が付かなかったのだろうなあ」だと。それも笑いを抑えきれないような表情で、「たしかによく考えるとそうだよなあ。胸像にあいさつするなんて普通ないよなあ」とその時は気恥ずかしい思いをしたことを記憶しています。
 驚いたことに翌日研究室の連絡板を見ると、なんと{あいさつは大事だぞ}とか{Drホジキンにもあいさつしよう}という貼り紙があるではないですか。さらにホジキンさんの前を通った時に、例の警備員から“Good morning, Manabu! Do you enjoy? ”なんて声が。本当にびっくりしました。なぜか無口な警備員みずから私にあいさつをくれたのです。研究室の誰かが、“あいさつをするのが英国紳士だぞ、とでも伝えたのかもしれない”などと勝手に解釈していましたが、ことの詳細は不明です。この一件があってからというもの自分と研究室仲間との間がいっきに縮まって、研究室での居心地が格段によくなったような気がしたものです。ホジキンさんに感謝!でした。もちろん、それ以来すっかり顔見知りになった警備員さんとは、毎朝胸像のホジキンさんをはさんで“Good morning”とあいさつを交わすようになりました。
 こういうわけで呼吸器専門の私にとってホジキン病は専門外の疾患ではありますが、いつしかホジキンという名前には深い深い親しみを感じるようになったのでありました。
 そして2つ目の話。
 だいぶ英国での生活にも慣れ、気持ちにも少し余裕が出てきた一年目の秋、妻が子供の学校の父兄から化石がたくさん見られる海岸がサマーセット州にあるという情報を仕入れてきました。これは行くしかないぞ、とさっそくサマーセット州行きを計画。そして日の出の時間が極端に遅い英国の秋、まだ暗いうちに眠い目をこすりながら家族5人車に乗り込み、自宅のあるロンドン北西部から南に向かって出発しました。ブライトン、ポーツマス、サザンプトン、そこから西に向かい目的とする海岸のあるサマーセット州に入ったのがだいたい15時頃。そろそろ今夜の宿を探さなければとB&Bを探しはじめたのですが、サマーセット州に入った途端にそれまでのにぎやかな光景から、急にえらく素朴な景色に変わってきました。「えらい田舎だねえ」少々心細い気持ちになりながらも頑張って前進。しかし行けども行けども町並は見えず。11月の英国は日没が早くどんどん薄暗くなってくるし、さっきまで晴れていたのに急に小雨が降ってくるし。行き当たりばったりで宿を探すなんて無謀だったかなあと少々後悔しはじめた頃、それまでの狭い田舎道が急に開けてかわいい街並みが目の前に飛び込んできました。「街だ!」と思わず歓喜の声をあげました。車の向かう一本道の上り坂が古城に向かっており、その坂道の左右にきれいな家並みが広がっているではありませんか。中世の時代の街がそのまま残っているかのようなかわいい Dunsterという街でした。そのとき持っていた地図にはただ名前が載っているだけ、もちろん観光ガイドにも載っていなかったためノーマークでまったく予想していなかったのですが、あとで調べたところノルマン人が作った城(1370年から1990年代まで領主が住んでいたのだと)と坂道、そして1600年頃に作られたYarn Marketという地元織物市場の跡が特徴の中世の町の賑わいを偲ばせる街なのだと。£3(500円程度)のDunsterと印刷されたマグカップを2つ記念に買い、その一角にYarn Market HotelというB&Bを見つけ一晩の宿を確保。その日の晩はB&B内の小さなレストランで夜食を食べ、ベットの上で家族と化石のことを話しているうちにいつの間にか眠りに落ちてしまいました。
 翌朝、朝食を食べエネルギーを充填し化石の海岸に直行。興味津々、期待に胸ふくらませて向かいました。ところが、そこはただの丸い石がごろごろ転がっているだけの寒々とした海岸ではありませんか。日本の観光地のような施設もないし、観光客の賑わいもなし。数kmもあろうかという、ただただ広いだけの殺風景なつまらない海岸だなあ。そう思い始めたところ、しかし、ふと足元に視線を落としてみると、石に大小の丸い模様がついているのを発見。なんと、アンモナイトではないですか。あっちの石にもこっちの石にも小さいのは1cmくらいから、大きいのになると30cmもありそうな巨大なアンモナイトの化石がごろごろ、あるある。なかには子供の顔より大きいものもある。ふと、これを日本に持ち帰って売るとどの程度の値段で売れるのだろうか、などと不純なことを考えながら大きな化石を持ち上げようとしたのですが、重くてまったく動かない。仕方がなく小さなものを数個ティッシュペーパーに包んで持ち帰ってきたのでした。
 そんなこんなで、現在我が家にはDunsterのマグカップ(使い古してだいぶ汚れてしまいましたが)と小さな小さなアンモナイトの化石が数個あるのであります。
 遠い昔の記憶は、もしかしたら夢物語ではなかったかと思うことがありますが、マグカップと小さな化石を見るたび、確かに現実にあったことなのだなあと思うのです。

 ホジキンさんとDunsterと、化石海岸。誰かに読んでもらおうというより、懐かしい思い出をこの文を書きながら追体験させていただきました。
 では、これで、おしまい。

 次は、鈴木内科医院の鈴木和夫先生にお願いいたしました。
 
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