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<ペンリレー>

発行日2014/06/10
秋山皮膚科医院  秋山 まり子
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吉本ミチ先生・加藤芳先生
 
 吉本ミチ先生が亡くなられ、もう4年の月日が流れてしまった。秋田県の女医の歴史を作った吉本先生。
 女性医師が少なく封建的な意識が強かった時代に、医師の仕事を続けながら3人のお子さんを立派に育て上げられた。3人とも医師となり、長女は東北大を出て内科医になられ、長男は東北大学総長を務められた。次男は今、吉本先生の吉本眼科医院を継いでおられる。
 吉本先生ご自身は、東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)を卒業後、キャンパスの芝生に憧れ同級生の友人3人と北大の門をくぐられた。その後戦争に突入したため、心配されて親元に戻されたという。その後97歳まで現役を貫き、亡くなられる1か月前に、ご自宅で脳梗塞で倒れて入院なさるまで、お元気に患者さんと向き合っていらした。地域医療に貢献され、数多くの患者さんとその家族に信頼されていた。「患者さんに私でなきゃと言われるの。」とおっしゃっていた。少しでも体調が悪いとご自分で医院・病院に足を運んで、自分の体に注意し、体を管理していらした。それと 「マックスファクターの赤い口紅とお昼寝。」この2つが吉本先生の健康の秘訣だといつもおっしゃっていた。
 私も、3人のお子さんを立派に育て上げられた先生を見習おうとしたけれど足元にも及ばなかった。ぽつりと私が、身の上相談をしたら、「もっと早く別れたほうがよかったわね。がまんのしすぎよ。」と言ってくださり、ほっとしたこともあった。東京女子医大の同窓会至誠会秋田支部の会でも、日本女医会秋田支部の会でもいつもそうだった。吉本先生の明るい陽だまりのような笑顔と加藤芳先生のおいしく作るお料理の話で、昼の一時がほのぼのと楽しく過ぎていった。そして私達に常にファイトと勇気を与えて下さった。
 私が、吉本先生から引き継いだ至誠会秋田支部は、昨年より小泉ひろみ先生が支部長になってくれている。加藤芳先生も以前支部長を長く続けられた。吉本ミチ先生は、地域の人々と共に生きる医師たちに送られる第12回ノバルティス地域医療賞を受賞されている。又、日本女医会の荻野吟子賞(独自の活躍をもって女性の地位向上や市井の医療に著しい貢献をした女性医師に贈られる賞)も94歳で受賞されている。その他、沢山の賞を受賞されている。
 加藤芳先生。89歳で、診療しながら脳梗塞で倒れられるまで現役でいらした。東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)を卒業し、お父様が開業した医院を継がれた。加藤先生もまた地域医療を担ってきた女医の一人であった。「ここでなければだめな患者さんもいるの。」と最後まで現役を貫かれた。先生のお料理は絶品でそれをめあてに集まるマージャン仲間もいらしたという。
 お二人のことは、書き残しておかなければと思っていた。しかし、なぜか書こうとすると体調が崩れ、涙が出てきて書けなくなった。存在があまりにも大きな「力」となっていたのだと思う。そんな中転倒し、第12胸椎圧迫骨折を抱えてしまい書くことができなくなっていたが、今やっと筆を執ることができた。
 お二人とのいつもなんとなく、ほんわかとしたひと時が思い出される。周りをほっとさせる温かさと、またエネルギーに溢れてもいた先輩方。吉本先生、加藤先生。どうぞ安らかにお休みください。※なお、日本医師会より吉本先生は平成13年、加藤先生は平成19年に米寿の銀杯を受賞されている。
 次回のペンリレーは、市立秋田総合病院小児科の小泉ひろみ先生にお願いいたしました。
 
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