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<ペンリレー>

発行日2014/01/10
のりこ皮ふ科  佐藤 典子
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気骨の人
 
私たち日本人は誰でも、身近な大切な方が亡くなった時、故人を悼み、お悔やみ申し上げ、心よりそのご冥福を祈り、手を合わせます。よそのお宅に伺ったときは、そのお宅の御先祖様の御霊前に手を合わせ祈ります。難しい宗教上の理由やしきたりなど全くわからなくても、故人を供養し、毎日つつがなく暮らせることに感謝するのは、人間として自然のことと考えています。 
 わたしが、こんな当たり前のことを改めて考えたのは、本年8月5日に発生した沖縄の米軍ヘリ墜落事故についてのテレビ、新聞報道に接した時感じた強い違和感からです。
 墜落した米空軍ヘリは、東日本大震災の際、被災地にトモダチ作戦を展開し、3月14日には南三陸を夜間捜索して、SOSのサインを掲げていた老人介護施設に空から必要物資を供給した捜索救難部隊に所属しています。戦地に取り残された負傷兵の救出など困難な任務遂行のため、平素から過酷な訓練を積み重ねていたからこそ、トモダチ作戦でも実力を発揮できたのでしょう。
 米軍キャンプ内で発生したヘリコプター墜落事故で、施設外の被害は出ていないものの、沖縄の基地周辺の住民の方にとっては、不安が大きいのは当然で、早急な事故原因究明と情報提供、再発防止が何より重要なのはもちろんです。先の戦争で唯一の民間人を巻きこんだ地上戦となり、今また多くの基地を抱える沖縄の方の心情はわたしたちには計り知れない物があります。
 しかし、報道で声高に報じられたのは「それみたことか、また墜落!基地は危険!オスプレイ配属大反対!!米軍は沖縄から出て行け!!」というものばかりで、事故で亡くなった方、負傷した方に対する心からの感謝、敬意、哀悼の意は全くありませんでした。   
 古くは熊谷次郎直実の逸話を思い出すまでもなく、日本人は敵に対しても心からの敬意を示し、その尊厳を守り、それを後世に伝えてきたはずです。戦争のさ中でさえ、敵兵の死を悼むと言うのが、日本人の心であったはずです。そういう方の意見だけを取り上げたのかもしれませんが、なにか日本人の心がすさんでいくようで、悲しいものです。いつから日本はこんな国になってしまったのでしょう。
 わたしが尊敬してやまない同郷の方に、秋田・長野県人会の事務長を30年にわたりお務めになった五味さんという方がいらっしゃいます。五味さんは退役自衛官の方で、その姿勢もお考えも背筋のぴーんとのびた気骨の方です。
 酒田の大火のとき、まだ燃え盛る混乱のさなかの酒田市に救援に入られたり、様々なご活躍をされておられますが、伺ったお話の中に特に印象深いものがあります。
 それは昭和57年8月、秋田県沖の日本海で日米共同対潜水艦特別訓練があったときのことです。当時の、今より遥かに強い、自衛隊に対する反感に加え、はえ縄漁の網が傷つけられたというようなトラブルも相俟って、訓練を見守る県民、そしてマスコミの目は厳しいものだったようです。
 そんな最中、訓練中に、米海軍の若い兵士さんが負傷し、所謂「米軍機強行着陸騒動」が発生しました。当時地方連絡部に勤務されていた五味さん(当時3佐)が、重傷を負い交通災害センターのICUに搬送された、瀕死の兵士さんに付き添いました。若い兵士さんのバッグにはアメリカで帰りを待っているキューピーさんのような坊やの写真が入っていました。五味さんは坊やのためにも頑張れと祈りつづけました。 
 そして翌朝五味さんをマスコミが取り囲みました。口々に「着陸は規定違反だ」「強行着陸だ」「憲法違反だ」「有事の際、こうして一般病院が使われれば、民間人が閉め出される」など喚き立て、五味さんに意見を言わせようとしました。
 五味さんはマスコミ陣をきっと見据え、「あなたたちと同じ、血の通った若い方がいま一所懸命生きようと戦っています。彼のふるさとでは小さい坊やが必死で祈っています。みな必死で助けようとして彼の回復を祈っている、それだけのことです。」と大きな声でおっしゃったそうです。そして「あなたたちマスコミの非難の論調はそのままアメリカで報道されます。そのときアメリカはどう思うでしょうか。向こうで待っている坊やはどんなつらい思いをするでしょうか。」と静かにおっしゃるとマスコミはほんとにぐうの音も出ず沈黙したそうです。
 その後、米軍横須賀司令部から手厚く処遇してくれたことに対し五味さんに篤い謝意の電話があり、米軍機で運ばれ数日後に防衛医大病院で23歳の若さで永眠されたのことです。
 心よりご冥福をお祈りします。合掌。
 秋田にきて40年、さいわい、五味さん初め、背筋のぴーんとのびた、信念の方、気骨の方ともいうべき多くの人生の先輩の知己を得ることが出来、色々教えて頂いています。
 そうした先輩を悲しませるような情けない国にはしたくないですね。
次は石田皮膚科医院の石田晋之介先生にバトンをお渡ししました。
 
 ペンリレー <気骨の人> から