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<ペンリレー>

発行日2013/10/10
今村記念クリニック   田村 康樹
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私と合気道
 
 柔よく剛を制す。昔から良く聞くフレーズであり体の小さな私にとっては心地よい響きなのだが、実際はなかなか・・・。かつて古賀稔彦という天才柔道家が切れ味鋭い背負い投げで一本を取る様はその言葉を彷彿とさせたが、とはいえその多くはあくまで同じ階級で戦った結果であり、はたして古賀が山下や斉藤(かつての重量級チャンピオン)と戦って勝てただろうか。同じ条件で天才同士が戦った場合、やはり大抵の場合勝つのは剛、つまりは大きい、力の強い側であるのが世の常であろう。(それでも古賀の切れ味は後のチャンピオンである小川や石井には通用したかも・・・と思わせるだけのものがあったと思うが)
 私は友人と共に小学校2年の時から街の道場で柔道を習い始めた。おかげで、数年後には多くの技を覚え、「型」の演舞では友人と共に秋田市の代表に選ばれた事もある。しかしながら高学年になり部活動に所属すると、後から始めた体の大きな同級生に次々に追い抜かれ、最終的にはなんとかレギュラーの5人に選ばれるかどうかというような状況であった。階級制のない小学生時代の柔道での思い出と言えば、大きな相手になんとか喰らいついて投げ飛ばされないように最後まで粘る、というのが自分とさらに自分よりも小さな友人との共通する戦法であったと思う。でかいヤツには適わない、でも、何とかしたい。そんな中、ある時同じ道場で同じ道着を着ているにもかかわらず、なんだか不気味な、静かな動きをする団体に出会ったことがあった。背中には合気道、の文字。当時の私には彼らの動きには武道らしい覇気が感じられず、ただ静かに踊りを踊っているようにしか見えなかったことを思い出す。なんか変なことやってるな・・・心のどこかに残影が残った。
 大学生になり医学部ではサッカー部に所属した。良き友人、先輩、後輩に恵まれ、そのとき築いた人間関係は今でも大切な財産になっている。しかしながら学生生活も後半になり、小さい上に大して足も速くない私にはサッカーはやるより見る方があっていることにようやく気づき始めた頃、やっぱり自分には武道が合っているのではないか、という思いが沸々と沸き上がってきた。小が大を凌駕するにはどうすれば・・・私の永遠のテーマだが、その頃には西洋医学の知識もそこそこになんとなく東洋医学に関心のあった私は、「気」の存在を通して、気を合わせることで相手を制する武道である「合気道」なるものに興味を持った。そう、小学生時代には踊りにしか見えなかったあの、合気道、である。あの時感じた、変な感覚。武道とは思えない静けさの中に、なにか底知れないパワーが潜んでいるかもしれない、柔が剛を制するための何かが・・・。そんな気がした。
 あれから約25年になる。研修医時代や地方回りの時代には稽古の中断を余儀なくされたものの、今でもなんとか続けている。武道、につきものの堅苦しさもなく、中断後もしばらくしてまた顔を出すと、よく帰ってきたな、とばかりに自然と稽古が始まる。合気道の動きは理にかない無理がない。これもまた長く続けられる所以である。70歳を過ぎ定年後の趣味として始める方もいる。誰もが自分のペースで自分なりの、道、を探す。強さは自分の身勝手な動き(技)からは生まれない。相手と自分の力(動き)がうまく融合した時に初めて強さ、が生まれる。相手と自分の「気」が合って初めて、自分の力だけでは到達できない、まさしく、柔よく剛を制す、の境地に達するのだ。今でもその境地を目指して稽古中だが、きっと今後も私の永遠のテーマとして残るに違いない。
 自分も45歳を過ぎ何かと体の衰えを感じることも多くなってきた。高コレステロールは以前から、最近は腹の出っ張りも目立ち始めた。永遠のテーマ、とか尊大なことを言ってはみたもののたった週2回の稽古でそんな境地に達するわけもなく、実はメタボが気になるおっさんがビールを気兼ねなく飲むための口実に過ぎないのだ。仕事帰りのビールもいいが、冷や汗でない心地よい汗の後のビールは格別なのだ。決して過激ではない、しかし武道である合気道は、ちょっとまじめに何かに取り組んでみたいと思っている人、おいしいビールを飲みたいおっさんや女性にとってももってこいの場になると思う。興味のある方、県立武道館でお待ちしています。
 次回は同じクリニックで働く先輩、小児科の後藤敦子先生、よろしくお願いします。
 
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