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<ペンリレー>

発行日2013/09/10
市立秋田総合病院  千葉 満郎
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柿崎善明先生、今井秀夫先生、Kirsner 教授
 
 
 私が医学生だった頃は、英語よりドイツ語で板書する先生の方が多かった。ある日、細菌学教授が「ドイツでは、完成された成人をgentleman, lady と呼んでいる。ドイツではgentleman, ladyになることが人々の目標である。」と話された。ペンリレーで私を指名した津田栄彦先生より紳士と呼ばれて恥ずかしい点はあるが嬉しいことである。
私の敬愛する身近な3人の先生が故人となられた。

柿崎善明先生
私は1972(昭和47)年弘前大学医学部を卒業した。卒業後 母校の消化器内科学を標榜する第一内科(松永藤雄教授)へ入局した。一年目は附属病院内で3カ月毎に 上部消化管、下部消化管、膠原病、血液グループなどに所属した。二年目以降の数年間は一年毎に関連病院が決まり、半分の期間を大学で、半分の期間を関連病院で過ごした。当時先輩方に評判がよかった関連病院は、米内沢(よないざわ)病院であった。米内沢病院の「柿崎院長先生は大学病院でもやっていないことをやっている。」ということであった。私は二年目の関連病院に米内沢病院を希望し、3か月ごとに2回 (昭和48年4-6月と10-12月) 計半年間 米内沢病院へ勤務した。内科は柿崎先生、大浜 庸先生(後に兵庫医科大学 助教授、故人)、私の3人であった。
柿崎先生は消化器以外のこともよく知っていて博学であった。家では、机を備えた勉強部屋があるのだろうと思っていた。お邪魔した際に、その一室を見たいと話したら、奥様が「机はないの。主人は休みながら本を読んでいるの。」とのことだった。写真1は公立米内沢総合病院附属準看護婦学校の卒業式(昭和49年3月)のものである。中央が柿崎先生である。柿崎先生は美男子で、タバコを吸っており、私がつけた秘かなニックネームはアランドロン(フランスの男優)であった。
増田久之教授(秋田大学第一内科 初代教授)の食道病変の講演会が大館市であった。診療を終え3人でタクシ―で行った。往復の間 柿崎先生と大浜先生の会話は、絶えることなく診療についてであった。
あるとき柿崎先生が私に「父から偉くなるなよ と教わった」と話してくれました。社会では偉くなるように励ましているのが一般的であるので、ながらく何故と思っていた。柿崎先生が亡くなられた後 私の疑問にご子息が解説してくれた。「社会的栄達以上に人には大事なことがあるという父の考えでしょう。」
柿崎先生は後に請われて市立秋田総合病院へ移り、その後同院の第三代病院長 (1988 (昭和63) 年4月1日~ 1993 (平成 5) 年3月31日) を務めた。私も弘前大学より秋田大学へうつり、1985 (昭和60) 年頃より 一時期市立秋田総合病院へ週1回のパート勤務をした。小松眞史先生(現 市立秋田総合病院院長)は私よりも もっと前から同院へパート勤務をしていた。私が現在 市立秋田総合病院に勤務しているのは、柿崎先生、小松先生のお導きによるものだろう。
真木正博先生が「顔施(がんせ)」について記している1)。その人の顔を見ただけで心が癒され、ほっと安堵の念が湧いてくるような雰囲気を漂わすような人のことである。臨床家もそうありたいものと述べている。これを読んだときに、顔施の持ち主として真っ先に思い浮かばされたのが柿崎先生であった。柔和なお顔であったが、強靭な精神力の持ち主であったことは、川原先生が紹介した本の出版の経緯でわかる2)。患者さんを含む多くの方々から慕われたのは当然である。
若い時代に柿崎先生に接しえたことは幸運であった。

今井秀夫先生
 1984 (昭和59) 年4月に私は弘前大学より秋田大学へ移った。その年の何かの会で中通病院消化器科の今井先生が3例か5例ほどのクローン病 (Crohn’s disease) 症例を発表された。「クーロン病」と発音され、最初は、どのような病気かと思ったが、聞いているうちにクローン病のことだと分かった。当時秋田大学第一内科のクローン病症例はわずかに2例のみであった。そのような時に、中通総合病院から大学病院以上の症例をもっているのは驚きであった。中通病院には今井先生という先生がおられることを知った。同年12月に、私が潰瘍性大腸炎に関する論文3)別刷を今井先生に送付している。写真2はその際の返信である。
 ご一緒に仕事ができたのは私が秋田大学より中通総合病院へ赴任(2003 (平成15) 年4月)後であった。私が55歳で今井先生が75歳のときからである。大学病院では、殆ど自分の専門分野(炎症性腸疾患)のことだけしかやっていなかったので、他領域の検査は久しくやっておらず新鮮であった。上部内視鏡検査でご一緒できる日が楽しかった。いつも丁寧に教えて下さった。
 今井先生の姿勢のよさ、颯爽とした歩き方、几帳面さ、真面目さ、朝早いことなどは同僚あるいは同期であった先生方が記されている4,5)。年齢がいっているので理髪店には1カ月に1度行っているとのことだった。消化器病の学会ではいつも前列に座られていた。私と今井先生には20年の隔たりがある。私は同僚に「僕も20年後も今井先生のように颯爽と診療したいものだ。」と話していた。先生が胃を全摘されていることを知ったのはその後であった6)。そのため 先生はいろいろと制限があり摂生されていたと思う。2008 (平成20年) 3月28日珍しく会合に出席して下さった。永年勤務した同僚看護師の送別会のものである(写真3)。写真で今井先生の後が筆者である。
 消化器科カンファランスを週1回 スタッフの持ち回りで、各自の希望のtopicでやっていた。今井先生は現役の先生以上に熱心にカンファランスにご参加下さった。PEG (percutaneous endoscopic gastrostomy) に関わる問題点、Helicobacter pylori 感染胃の内視鏡像、これからの胃癌検診の在り方などをとりあげてくれた。2004 (平成16) 年1月9日および3月26日の2回にわたって、熊本大学第二外科小川道雄教授の最終講義「こころ 分子におきて メスを構えるべし」(I)7) および (II)8) をとりあげて下さった。総計34ページにわたる講義録をカンファランス参加者全員に準備された。カンファランスでは「以前は治せなかったが、現在は治すことが出来る。といえることが医学の進歩である。」というコメントであった。このコメントは、クローン病にもあてはまるので、あとで機会のある時に読もうと思いファイルして保存しておいた。今回この原稿を書くために読んだ。一読するのに、朝のすがすがしい日を2日間要した。消化器が関連しているとはいえ、外科に関連する論文によく目をとおしたものだと思った。しかし講義内容は、医学全般に通じる素晴らしいものである。「医師は一生勉強を続け、新しい医学を身につけて応用していかねばならない。」ともある。そして講義の最終章は涙なくして読めないものであった。心臓手術後2日目で死亡した5歳の子、その母親、担当の医師のエピソードである。今井先生はご子息を高校3年生の時 突然の心停止で失われている5)。おそらく、今井先生も泣きながらこの最終章を読んだと思われる。そしておそらく今井先生は最終章を後輩の我々に紹介したい気持ちもあったのだろう。
 ときどき 机の上に先生からのメッセージ「珍しいものが手に入りました。ご賞味下さい。」とともにクッキーが置かれてあった。おそらく東京からのご家族の方が帰秋の際 買い求めたものと思っていた。ところが違っていた。ご家族のお話しではクッキーが好きで、ご自分で買い求めていたとのことだった。いつも御洒落なおいしいクッキーだった。

Kirsner 教授
入局2、3年目の頃、所属する第一内科教室(弘前大学医学部)の松永藤雄教授が「千葉君、シカゴのKirsner のところへ行かんか。申請様式書類が、本部にあるはずだから、とりよせて手続きするように。」と話された。かねてより 広い世界をみたいと思っていた私は、胸をはずませてその日の午後、大学本部に行った。事務の方が文部省と連絡をとったところ、その日が丁度審査日であった9)。私の学位論文は潰瘍性大腸炎の細胞性免疫に関しての研究であり、シカゴのKirsner グループが炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎とクローン病)をやっていることを知りつつあった。
その後第一内科を継いだ吉田 豊教授は、1976(昭和51)年より3年間厚生省特定疾患 特発性腸管障害調査研究班班長を務められた。そのようなこともあって吉田先生がcoordinator, 武藤徹一郎先生(東大 第一外科助手 後同教授)がsubcoordinatorの訪米・大腸疾患視察団(私を含む団員20名)が、1977 (昭和52) 年6月20日より2週間の日程で、炎症性腸疾患のメッカ Mt Saini Hospital, Cleveland Clinic, Chicago University, Mayo Clinic などを訪れた。私にとって最初の外国旅行であった。6月27日訪れたChicago UniversityではKirsner教授が講義をしてくれた。それは炎症性腸疾患全般にわたり、選び抜かれたスライドを使ってゆっくりした英語で私にとっては大変わかりやすい講義であった。写真4はその際の記念写真である。中央の白衣の右端がKirsner教授で、その右隣が吉田、武藤先生である。筆者は団員中最年少で最後列の左から3人目である。私にとってKirsner教授は印象的であったが、Kirsner教授が20人の訪問者の一人である私を記憶するはずはなかった。Kirsner教授は、1975年に、単行本 Inflammatory bowel disease を編集出版しており(初版)10)、炎症性腸疾患の大御所であることを知った。
ある日Kirsner教授より手紙がきて1988年発行の私の論文11)にある図のスライドを送ってくれないかというものであった。それは小腸上皮にHLA-DR抗原が表出されているスライドであった。英語で手紙を書くのは億劫であり放っておいた。ところが催促の手紙がきた。おそらく、彼は講演の一部で、私のスライドを供覧して小腸上皮のHLA-DR抗原表出についてふれるのだろうと思われた。その熱意を感じた私は、1977年にお会いしていることを記して所望のスライドを送った。
2002 (平成14) 年4月1日に分厚い本が送られてきた。それはKirsner 教授からであった(写真5)。2000年に出版されたInflammatory bowel disease の第5版12) (800ページ)であった。
2012 (平成24) 年11月主要な消化器病雑誌6誌にKirsner 教授の追悼文が掲載されていた13)。95歳まで診療されたこと、100歳で「消化器病の歴史」について講演されたこと、103歳で亡くなられたことなどが記されてあった。Kirsner 教授が残念に思っていたことは、炎症性腸疾患の原因を究明出来なかったこととも記されている。1997年彼は、クローン病の歴史を記している14)。2010年、炎症性腸疾患を生活習慣病とみなす私の論文15)を郵送した。ご返事はなかった。今思うとその時Kirsner 教授は101歳である。もっと早い時期に発表し、お目にかけることが出来ていたら、Kirsner 教授はきっとコメントしてくれただろう。
 (次回は中通総合病院および市立秋田総合病院で同僚の津田聡子先生にお願いします。)


 


文 献
1) 真木正博。生から死まで ─樹木のように─。2001 秋田市 秋田協同印刷(株)pp 34-5
2) 川原 浩。柿崎善明著「花のアルバム ─庭の花 道端の花─」。秋田医報 2011; No. 1382 (9.15): 59-61
3) 千葉満郎ほか。潰瘍性大腸炎退院時における重症度指標検査値の検討。日本大腸肛門病会誌1984; 37: 706-13
4) 久保田 奉幸。今井秀夫先生追悼。秋田医報 2013; No. 1423 (6.1): 20
5) 川原 浩。追悼 今井 秀夫君を偲んで。秋田市医師会報 2013; No. 501 (6.10): 21-2
6) 今井秀夫。還暦闘病記。秋田市医師会報 2012; No. 484 (1.10): 12-3
7) 小川道雄。最終講義「こころ 分子におきて メスを構えるべし」(I)。消化器外科 2003; 26: 1285-300
8) 小川道雄。最終講義「こころ 分子におきて メスを構えるべし」(II)。消化器外科 2003; 26: 1412-31
9) 千葉満郎。アメリカ留学。月水會誌 月水会(弘前大学第一内科教室)発行、長尾印刷(株)青森市 1983 pp 64-73
10) Inflammatory Bowel disease. Kirsner JB & Shorter RG editors. First edition, Philadelphia, Lea & Febiger, 1975
11) Chiba M et al. Ubiquitous expression of HLA-DR antigens on human small intestinal epithelium. Gastroenterol Jpn 1988; 23: 109-16
12) Inflammatory Bowel disease. Kirsner JB editor. Fifth edition, Philadelphia, W.B. Saunders Company, 2000
13) Hanauer SB, Rubin DT. In memoriam: Dr Joseph Barnett Kirsner. Gastroenterology 2012; 143: 1123-4
14) Kirsner JB. Crohn's disease: yesterday, today, and tomorrow. Gastroenterology 1997; 112: 1028-30
15) Chiba M et al. Lifestyle-related disease in Crohn’s disease: Relapse prevention by a semi-vegetarian diet. World J Gastroenterol 2010; 16: 2484-95



※ホームページ掲載にあたり、写真は割愛させていただきました。





 
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