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<ペンリレー>

発行日2012/11/10
田代クリニック  田代 哲男
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自然の日本カモシカが横断歩道を渡る?
 
私は、九州の別府で生まれ育ちました。別府は海と山に囲まれた扇状地で、自然豊かな風光明媚な町です。春から夏にかけては、目の前の砂浜が遊び場で、引き潮で砂の島が出来るのを待って、股上まで海水につかりながら必死で半ズボンをたくし上げて砂島に渡って貝掘り、ドンコ釣りをすることが日課でしたし、遊泳禁止区域で泳ぐことも朝飯前といった具合でした。“クロンボ大会”と言って誰が一番日焼けしたかを競う大会が夏休み明けの恒例行事でした。九州の日差しはとても強くて、日焼けた皮が、ベリベリと繋がって剥けるのが自慢になるという、奇妙な光景があちこちで見られたものです。今では懐かしいハエ取り紙ですが、竹竿の先にハエ取り紙の粘液を絡みつけて、蝉取りもしました。うまくいかないとお節介な近所のおっさんが“おれがやったる”と言ってしゃしゃり出るし、逃げて飛んでいく蝉におしっこ(吸った樹液?)をかけられ、大笑い。山の上の遊園地は、ケーブルカーで上がって行くのですが、金のない僕らは、横の獣道を探して登り、破れた金網から潜り込んで楽しんだものです。九州は台風銀座といわれて、毎年5~6回は台風の直撃を受けていました。学校では、襲来時刻によっては早引けになるので、台風が来るのをわくわくして心待ち(?)したし、傘をささずに皆で手をつないで吹っ飛ばされないように下校したものです。近くの小川が氾濫して床下まで水が来るのを何度も偵察することに奇妙な充実感と興奮もありました。都会にない自然を感じて育ってきたつもりでした。
 私が秋田に来たのは1985年7月です。秋田に来て驚いたことは、いくつもあります。その一つに、人々がのんびりしていることがあります。秋田大学の准教授だった長崎先生の研究では、精神テンポは大阪や東京の人は約120拍/分で秋田県人は約100拍/分であり、秋田県人の心地いいテンポは都会よりもゆっくりだというものです。それは大学生になって東京に行っても変わらないという結果でした。“フーンなるほどな”と感心しました。二つ目は、公園で煮炊き(なべっこ)ができることです。火気厳禁と言って叱られる所が、水道、洗い場、窯まであり、タダで使ってくださいというのですから、大自然が身近にあることにも驚きます。熊が秋田市内の秋田高校のグラウンド横に現れたとか、民家の周囲に熊が出たから注意をという話をあちこちで聞きます。私の住んでいる住宅街では、日本カモシカが、カツン カツンとひずめの音を響かせて住宅街のアスファルトの道を走ることがたまにあり驚かされます。しかし今回の出来事には『本当にこんなことあるの?』と仰天しました。
2012年7月9日の朝8時40分頃の出来事でした。ところは、秋田駅から徒歩15分ぐらいの所で、秋田大学のグランドの付近の横断歩道でした。この時間帯は、通勤の車がひっきりなしに行き交い道路も混雑しています。横断歩道には学生らしき人たちが10人ぐらい待っていました。信号が赤になって車が数台とまり始めて、横断歩道を人々が渡り始めた時でした。白っぽい大きめの犬と思わしき動物が人に連れられるように渡り始めたのですが、数メートル歩いたところで小躍りするようにカツンカツンと横断歩道を蹴って、一気に渡ってしまったのです。その身のこなしを見てはっと気付きました。背丈が1.2mぐらいの野生の雌の日本カモシカだったのです。そのままグラウンドの横を走り去って行ったのでした。
この日本カモシカは、夜中に住宅街に迷い込んでしまったのでしょう。朝帰ろうとしたら車の通行が多くて道を渡れなかったのでしょうか。しかし、歩道には学生らしき10人ほどが、信号が青になるのを待っていたわけで、日本カモシカと一緒に信号待ちしていた学生たちの感覚にも驚かされますね。秋田の人は、のんびりと自然と共存しています。住んでいて心地いいですねー。

次回は、秋田回生会病院の副院長松本 康宏先生にお願いしました。
 
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