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<ペンリレー>

発行日2012/08/10
秋田赤十字病院  鈴木 哲哉
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野球の偉人に魅せられて
 
小学時代に弱小野球部に属し(他に陸上部・相撲部に兼部)、以後本格的な野球とは無縁で過ごしてきたが、観るのは好き。昔の選手の偉業や逸話を見聞きするのはもっと好き。「所詮は過去の人」と過小評価・忘れ去られがちな選手達の業績などを書いてみた。この人たちを野球解説などで見かけたら「実はすごい人なんだ」と再評価して頂ければ幸いです。

川上哲治 「打撃の神様」戦前にプロ入りし、招集された3年のブランク後に復帰。史上初の通算2,000本安打や100号本塁打を放った(三振はわずか422)、まさに神様。当然、現役時代の活躍は見たことがなく、その後の巨人V9監督としての偉業も雑誌などで見聞きしたことがあるだけだが、すごい選手だったのはよくわかる。
 自分の祖父が、陸軍士官学校にいた時に川上氏と同じ釜の飯を食った、と言っていた。祖父は「てつはる」のことを「てつじ」と呼んで(読んで)いたし、氏は熊本生まれのはずなので、同姓同名か祖父の記憶違いとも思っていたが、今調べてみると確かに陸軍少尉をしていたようだし、名前の読みが「てつはる」になったのは現役を終えてからのようなので、どうやら本当の話らしい。恰幅の良い祖父が「あの人は体は人一倍大きいし、手榴弾を投げさせれば人より何十mも遠くまで簡単に投げていたものだ」と言っていた。超一流になれるような人はハナからモノが違ったようだ。

王 貞治 「世界のホームラン王」名前からしてすでにキングであり、特異な一本足打法や現役引退後の活躍などでも超有名。もしかしたらその名は日本国民全ての人が知っているのではないか?通算868本やシーズン55本塁打などの偉大な数字の他に、現役時代から一度も退場になったことがないなど人格もたぶん素晴らしい。「王は王でも三振王」と揶揄された時期もあったが、通算打率は3割を超え、打った安打の約3本に1本が本塁打だったこと、現役最終年にも30本塁打を打っていることなど、偉人・超人と呼ばれるにふさわしい。
 ハンク・アーロンの755号本塁打越えが見えてきた1977年、日本ペプシが「王が756号本塁打を打つのは何月何日の何時何分か?正解者にはペプシを756本差し上げます」というキャンペーンをやっていた。当時小学4年で物欲満々だった自分は応募はがきを3枚ほど入手し、中学2年だった兄に相談した。巨人ファンであるだけでなく数字を読むのに長けていた兄は、王が打席に立つ時間帯、打率・本塁打率、対戦投手の登板予想、終盤に勝負を避けられる四球率や雨で流れる試合数などあらゆるデータを分析し、「756号本塁打は9月3日の第2打席、7時10分」と予想し、さらに「残念ながらその瞬間はテレビ放送してないから見れない」とまで言った。バカな私は兄が予想した時間からわざと数分ずつずらした答えで応募した。そして結果はまさに兄が予想した日時そのもの!かなり後悔した。それ以後、兄が言うことは何でも信用するようになった。

野村克也 「生涯一捕手」現役として26年間もプレーしたが、すでに引退後の期間の方が長かったり、ボヤキや夫人のイメージが強く、風貌もタヌキ親父っぽいため現役時代のすごさは分かりにくいが、3,000試合出場や戦後初の三冠王をとるなど、かなりの名選手。王に次ぐ日本第2位の通算657本の本塁打記録をもつことなどは意外と知られていないだろう。富士山の次に高い日本の山があまり知られていないのと同じだ。長く監督もやって「野村のID野球」を広めたのもすごいが、77歳になった今でも的確に野球を分析できることはもっとすごい。

金田正一 「いわゆるひとつの400勝投手」400勝といっても「所詮、時代や打者の技術レベル・バットの材質など今の時代と全然違うから」とピンとこない数字だが、実はもの凄い。現在よりも年間試合数が少ない時代に、年20勝以上を14年連続!で挙げていて、200勝到達がなんと24歳時。さらに凄いのは350勝を当時の超弱小球団の国鉄スワローズ時代に上げていることだ。国鉄がいかに弱かったかというと、球団結成時=金田入団時にプロ経験者が一人しかいない状態だったから、プロ野球界に1球団だけアマ球団が混じっているようなものだった。
氏のことは、現役を引退し監督をしている姿しか見ておらず、「投手は下半身を鍛えるために、とにかく走れ走れ」という根性論のような指導や、テレビの好・珍プレーでよく乱闘シーンに出てくるような粗雑なイメージしか浮かばないが、実は現役当時にこだわっていた自己流の体のケアや体調・栄養管理がかなり繊細で、今となっては理にかなっていて科学的にも正しかったことが評価されている。さらに打者としても優れており、何度か代打本塁打を打ったり、生涯安打や打点、本塁打数が長嶋一茂やパンチ佐藤なんかよりも多いことはあまり知られていない。

江夏 豊 「江夏の21球」「オールスターでの9者連続三振」などでよく知られる。腹が出て、文字通りふてぶてしい態度で試合の終盤にちょっと出てきて勝利のおいしいところだけ持っていく、引退直前にメジャーに挑戦・失敗したりといった、あまり良いイメージがなかったが、調べるとやはりもの凄い。年間奪三振記録はなんと401個。それも稲尾の記録に並ぶ353三振をライバル視していた王から奪い、他の打者はわざと三振以外で打ち取り、再び打順が回ってきた王から新記録の三振を奪うという芸当を成し遂げた。しかもそれは高卒2年目の出来事!生涯206勝は驚くべき数字ではないが、途中からクローザーに転向して193セーブも上げている。セーブも実は0.8勝位の価値があるらしいから、単純計算で360勝投手に匹敵する。
オールスターでの9者連続三振はいまだに破られない記録だが、実はその前年を5者連続三振で終え、翌年の初打者も三振に倒しているから、3年越しで15連続奪三振を成し遂げていることはあまり知られていない(ちなみにその記録を止めたのは、後に江夏の投手としての運命を大きく変えた野村克也)。

ブーマー  数多い助っ人外国人からあえてこの人。2m・103㎏の巨体でイメージは大当たりか三振か、本塁打を打った門田とハイタッチをした際、門田の肩を脱臼させてしまうなどガサツさを想像してしまうが、実際は真逆で繊細な大男。日本プロ野球で実働10年。通算打率.317は右打者としては驚異的に高い。外国人初の三冠王を獲り、通算安打1,413と多いが、三振はわずか333個(イチローの日本での9年間の数と同じ)。バースやクロマティなど有名な外国人選手はいるが、実はブーマーこそ日本プロ野球に大きな影響を与えた外国人打者ではないかと思っている。

福本 豊 「世界の盗塁王」現役時代は小さな体でちょこまか走って塁をかき回し、今は野球解説なんかでたまに出てくるおもろいオッチャンのイメージだが、実はイチローなんかよりも走攻守のバランスに優れているかもしれない数字を残している。通算1,065の盗塁の他、安打は2,534、打率.291、得点1,656。この人が塁に出れば、その後の打者はどんなに楽だったろう。その活躍から国民栄誉賞授与を打診された際、「そんなんもろたら立ションもできなくなる」と言って固辞したり、盗塁の秘訣を聞かれて「まずは塁に出ることやな」とか「そんなん、気合いと思いきりや」と答えたり、偉大な選手の割に気取らないところがこの人の大きな魅力だ。これからも面白く奥深い発言をしていって欲しいものだ。

大杉勝男 「月に向かって打て」ミスター○○、世界の○○、悲運の○○などいろんな通称がある中で、命令形が通称なのはこの人くらいでないか?前半は男臭くて無骨、乱闘で長嶋を殴ったことがあるほどの荒くれ者。後半は大打者の割にテレビでしゃべらせれば面白く、聡明で性格の良さが感じられて大好きだった。セ・パ両リーグで1,000本安打以上を打ち(落合でさえ果たせていない)、両リーグ200本塁打にあと1本足りなかった。引退試合で「この1本をファンの皆様の夢の中で打たせていただきますれば、これに次ぐ喜びはありません」と心に残るあいさつをした。自分が大学の卒業旅行中にプロ野球ニュースで訃報を聞いた。テレビでしか見たことがない人なのに、とても悲しかったのを覚えている。

落合博満 「ミスター三冠王」「オレ流」最年少で三冠王を達成した、秋田が生んだ野球界のヒーロー。評論家たちの「所詮そんなに高くない数字で、エース級が登板しないロッテでの記録」との声を3年後に打率.367、本塁打52本、打点146の驚異的な数字で黙らせ、翌年も.360、50本、116点と高いレベルで3度目の三冠王を達成した。20年働いた右打者として、通算打率.311は驚異的。左打者のイチローの打率は引退時にどのくらいまで下がっているのだろう。中日の監督になってからの活躍も誰もが知っている。球団の親会社が新聞社なのに、自らは情報を発しないなど批判はあっただろうが、チームとしてまとまっていたし強かったから、やっぱり野球を面白くしてくれた人だと思う。

山田久志 「ミスターサブマリン」同じく秋田が生んだ、投のヒーロー。秋田出身者でドラフト1位指名を受けた人が山田以外にいるかどうかわからないが、通算283勝、入団2年目から17年連続2桁勝利、12年連続開幕投手など超一流の記録を残している。最近もたまにテレビで見かけるが、結構おしゃべりで話も上手い。無口な落合に代わって、もっと秋田の野球やスポーツを全国にアピールしてくれることを期待している。

野茂英雄 「トルネード」「ミスターK」独特のフォームから繰り出す球は直球とフォークのみ。それでバッタバッタと打者を切り捨てた。日本での大活躍(5年78勝、1,204三振)後に批判を浴びながら大リーグに渡り123勝も挙げた。ア・ナ両リーグでノーヒットノーランを達成したり、ドジャース復帰後2年連続で16勝を挙げたり、と今後ダルビッシュや松坂も達成できなそうな大記録の持ち主。日本人大リーガー初の本塁打は、新庄でもイチローでもなく、実は野茂が放っている。

他にもミスター巨人、神様・仏様・稲尾様、怪童、サンデー兆治、大魔神、番長、ゴジラなど多くの選手の逸話も書きたかったが、誌面の関係でこの辺で。疲れた日にはYou tubeで松井のサヨナラ本塁打や野茂のNo-Noの場面を見ては元気をもらっている。みなさんもよければ一度ごらんあれ。
次は、秋田に帰って来た同級生の星、秋田赤十字病院循環科の岩谷真人先生にバトンをお渡しします。

 
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