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<ペンリレー>

発行日2012/05/10
すずきクリニック  鈴木 裕之
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私が禁煙治療を始めたわけ
 
 小野寺佳奈先生からバトンを引き継いだ鈴木裕之です。小野寺先生とは同じ誕生日で(生まれた年は大きく違うが)一緒に働いた白根病院時代がとても懐かしく思い出される。今回はそこで始めた禁煙治療について書いてみる。
 私の禁煙治療の記念すべき初日は2003年5月12日だった。私が勤めていた白根病院ではその月から「生活習慣病外来」を立ち上げ、その一つが「禁煙サポート外来」で開設初日にSさんという方が受診してくれたのだ。当時のパンフレットを見ると「お一人20分間、無料です。ご本人だけでなく、ご家族、友人でも結構です。予約受付中」とある。その頃は現在のような保険診療ではなく無料だった。決まった治療マニュアルもなく、禁煙補助剤もニコチネルTTSだけで(薬剤費は実費徴収)、薬剤を使わずに医療相談のような形でやったりもした。試行錯誤の繰り返しで、患者さん毎にこちらが勉強させてもらった。
 それから9年、今までに私が治療した患者さんの総数は497名となった(2012年3月31日現在)。途中、2006年に私が開業する直前から禁煙治療は保険診療となり、「禁煙治療のための標準手順書」というマニュアルもできた。さらに2008年にはチャンピックスという内服の禁煙補助剤が加わり、世間の禁煙治療に対する認知度も年々上がってきた。2010年のタバコ値上げ前には禁煙治療を希望する患者さんが一か月に34名とタバコ値上げの禁煙促進効果を目の当たりにした。
 さて、私が禁煙治療に懸命になるのにはわけがある。話は1980年代の後半に遡る。私は秋田大学医学部第二外科の医局員として毎週のように食道がん患者の術後管理に従事していた。症例を重ねてくると喫煙者の術後管理は非喫煙者のそれよりかなりたいへんだということに気がついた。レスピレーターからなかなか離脱できない、喀痰量が多く採痰のための気管支鏡の回数が多い、術後肺炎に罹患しやすい、気管切開術が必要となることや思わぬ術後合併症も多いなど医局員泣かせの術後管理になるのだった。なので、手術が始まって間もなく、開胸の瞬間にドス黒い肺をみると内心『あ~、これで今日から1週間は泊まりこみだなぁ』と暗い気持ちになった。
 私がタバコを吸ったのは高校三年生の夏から(野田首相のように訂正はしない)浪人した翌年の6月までで、自分でお金を出して買ったタバコは2-3箱しかないはずだ。一度もタバコが美味しいと感じることなく大人になってしまったが、今から思えばとてもラッキーだった。そしてつらい術後管理でタバコの弊害を身をもって体験したことが私の禁煙治療の芽生えとなった。それから実際に禁煙治療を始めるまでは10年以上かかってしまったものの、最近では社会全体の禁煙への大きな潮流に乗って楽しく禁煙治療ができている。めざすはタバコフリー社会である。
 この後は、志を同じくする禁煙治療の先輩、添野武彦先生にバトンをお渡しする。

 
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