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<ペンリレー>

発行日2012/03/10
白根病院  小野寺 佳奈
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雑感(好きな音楽など)
 
 敬愛している作詞家の一人、松本隆さんがつぶやきはじめた、ということを知った途端、私はそれまで全く見いだすことのできなかったtwitterの存在意義を初めて実感するに至った。醍醐味はなんといっても今現在の彼のつぶやきをリアルタイムに知ることができる、ということだ。昔だったら考えられないこと。私の中のいわば、空想の世界の人でもあったのに。松本隆といえば言わずと知れた1980年代の松田聖子、である。彼女の曲は当時の私にとってある意味命綱的存在であった。

 これまで生きてきた中で今日が一番幸せではある。一方、いちばん暗澹としていたのはいつだったか、と訊かれると私の場合はやはり、小学生時代なのだった。興味の持てない授業、したくもない運動(特に球技全般)、寝起きの悪い朝、寝付きの悪い夜、退会したいほどの「町内こども会」、上達しなかった習い事(フィギュアスケートとトランペット)…なかでも教師の子を贔屓する担任、それにおもねる生徒(学級委員系)とその親たちは当時の私にとり非常に陳腐で了見の狭い輩に思えて「何なんだ、その顔色窺いは!」と日がな憤っていた。

 教科書の内容が結構面白いな、と気づいたのは中学に進学してからであった。ある日地図帳を開いて眺めていたら、自分の住む日本国のあまりに小さいことに気づいたことに始まる。世界のまあ何と広いこと。なのに私は些細なことで何を苛立っているのか。時間のムダである。こんな世界はいつか飛び出して、早く自力で思い切り世界中を旅して見聞を広めてみよう。つまらぬ世間一般の所謂ジョーシキに抑圧され続ける型通りの退屈な色褪せた人生など送ってなるものか。いい意味で、波瀾万丈な人生を送ってやる!と俄然息巻きはじめた。暗中模索して、もがいてあがいているときの空想、妄想、そして負のエネルギーまでもが現在に至らしむベースとなった、と思(わなきゃやってられん)いたい。

 ともあれ、暗黒の小学生時代(8-12歳)であったことに変わりはなく、その時期に差した一筋の希望の光。それが松田聖子なのであった。切っ掛けはCMソングだったかどうかは今となっては思い出せない。ゲームの購入には厳しい親も本と音楽については寛容であったので、この時期のアルバム(Pineapple~Windy Shadow)は殆ど購入。また新しいシングルが出るといち早くテレビ番組を生テープに録音。アルバムを手に入れてまずすることといえば、


■曲を聴きこみ、詞を読み込み曲の把握に努める
■今回のアルバム作成(曲の構成や曲順など)に至る経緯や意図をあれこれ推測
■これまでのアルバムと比較し曲風やカラーの共通点についてあれこれ私見をまとめる
■作詞者、作曲者及びアルバムの作成に携わったスタッフに思いを馳せる
■「CBSソニー・信濃町スタジオ」について自分なりのイメージを膨らませる
■ジャケのデザインや撮影場所、衣装やメイクはどういう経緯で決定したかなど思いにふける

 こういった作業にどっぷりと耽溺する。すると時間はいくらあっても足りない。ヘッドフォンステレオもiPodもない時代だったので(あったとしてもおいそれとは買って貰えなかったろうが) 、出先や移動中で原曲により忠実に再現したいと思ったら、 歌詞からキィからパート別の楽器音から何からとにかく頭にたたき込むしかないのである。 これで「ほぼ絶対音感」程度は身につく(と断言)。知っている曲については原曲に忠実なキイを再現する程度の音感はこれで身についたと思っている。その点で自分にとってはある意味よい時代だったといえる。今の子ども達は有り難みを知らない(幸福度の閾値が高い)という点では案外、不幸なのかもしれない。

 当然歌詞カードやテープの紙ケースはぼろぼろである。 各アルバムの文字のフォントや行間までもが今も鮮やかに思い出される。 ランドセルの中には常にヤンソン(集英社の月刊誌・明星の付録の新譜歌詞本)が鎮座していた。私の内職のお供はこの最新のヤンソン及び歌詞カードであった。時に教師の目を盗み授業の合間をかいくぐってまで集中した貪欲さ。そのくらい魅力的だったのだ(今でもそう)。 テープと歌詞カード…そこは密かな小宇宙。心の拠り所の全てがここにあった。

 中学に上がり、松田聖子も初婚に至るあたりからはめっきり聴かなくなるのであるが、その頃から親しみはじめ当時よりは寧ろ、ここ数年急速に聴く頻度が増えたのが山下達郎である。

 実は最初に彼の声を聴いたのは1983年、小学5年の冬であった。秋に初めてラジオカセットを買って貰い、日中は主に音楽の録音、また就寝時の楽しみは密かにAMラジオをONにすることだった。日本語や英語やロシア語やハングル語の色んな番組が次々くるくる切り替わる。 世界は広い。様々な番組をキリキリとチューニングして 不眠がちの当時、毎日わくわく夜更かししてたのを思い出す。

 ある日、いつものようにあちこちダイヤルを回していたら、 音楽の授業で試聴したばかりのパッヘルベルのカノン様のコーラスが流れていてふと、手を止める。 気に入った曲はすぐ録音できるように生テープをスタンバイしていたのでとりあえず
 
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