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<ペンリレー>

発行日2012/02/10
秋田赤十字病院  原 賢寿
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アメリカ出産体験記
 
 私は2007年6月から2年間、研究留学のためアメリカはフロリダ州、マイアミで過ごした後、2009年7月から秋田赤十字病院で働いております。今となっては懐かしい思い出ですが、その時に体験した妻の出産にまつわる苦労話をさせていただきます。
 私が渡米したとき妻はもう妊娠8ヶ月でした。今から思えば日本で出産を終えてから渡米すべきだったと後悔しますが、当時は「医療先進国のアメリカだから問題ないだろう」と楽観視していました。渡米して最初に私がしなければならなかったことは生活のセットアップ以外に、一刻も早く医療保険に加入すること、そして産婦人科医を探すことでした。渡米日は6月5日。出産予定日は8月10日でしたので2ヶ月しかありません。多くの研究留学生が加入する、JAL ファミリークラブの海外旅行障害保険では妊娠は保障されないため加入せず、渡米後すぐに妊娠も保障される大学の安い保険に入りました。保険に加入するにも一騒動ありましたが、長くなるのでここでは触れません。
 さて次は医者探し。保険会社のホームページを利用しマイアミの産婦人科医を探しました。アメリカでは日本と違い、保険会社が契約している医者にしかかかることができません。好きな医者にかかるには、それだけ高い保険に入る必要があります。幸い自宅の近くにある産婦人科の開業医が見つかったので早速妻を連れて受診しました。「見ての通り妻が妊婦しているので診てほしい」と言うと、受付のスタッフが「何ヶ月?」と聞いてきたので、「8ヶ月です」と答えたら、「No! ほかの病院へ行ってくれ!」といきなり門前払いを食らってしまいました。しかもどこへ行けとも、何の紹介もなしです。どうやらそこの開業医は妊娠後期の妊婦が受診するところではなかったらしく、全く相手にしてくれませんでした。その後、再度保険会社のホームページで検索し、つたない英語で数箇所の病院に電話をかけてみました。ある病院からは「うちではない。大学病院へ行け」とつれない返事。結局相手の話していることも半分しかわからず、唯一得た情報が大学病院へ行くこと。電話での交渉は不可能と思い直接大学病院へ行きました。ところが、受付のバカでかい黒人から訳のわからないことをベラベラしゃべられ、理解不能のまま大学病院を出ざるを得ませんでした。このときばかりは猛烈にへこんでしまい、陣痛が来たら全額負担を覚悟で大学の救急外来にかけこむという最悪のシナリオを考えていました。
 もはや産婦人科医を探すのはあきらめ、家庭医を探す作戦に変更しました。幸い電話ですぐに予約をとることができました。日本の産婦人科医から英語で書いていただいた紹介状を持参し、ようやく「医者」に会うことができました。「産婦人科医を紹介してほしい」というと、なぜかその家庭医はとても困った表情を浮かべながら妻の血圧,体温を測りだすと、今度は私の診察を始めたのです!「No! I am healthy! 」と言っても、おかまいなしに黙々と私の診察を続けるのです。ご丁寧に妻だけでなく私の血液検査、尿検査までさせられました。その後、診察が終わると家庭医は自分の部屋に戻ってしまったのです。「ああ、万事休す。もう救急外来にかけこみしかない...」と意気消沈していたら、その医者は名刺ほどの大きさの汚い小さな紙切れを私に渡しました。そこには知り合いの産婦人科医の名前と住所、電話番号が書いてあったのです。妊娠の週数とか、診察所見といった情報は何もありません。ほんとに名前と連絡先だけです。単なる「紙切れ」でしたが、当時の私にはこれ以上ありがたい紹介状はありませんでした。その後、ようやく妻が「産婦人科医」の診察を受けたのは出産予定日の3週間前でした。渡米後に産婦人科の診察を受けるまでに実に5週間を要したのです。
 紹介された産婦人科を受診したとき受付のスタッフに最初に言われたことは、「出産には30000ドル(300万円)かかる。大丈夫か?」でした。どうやら彼らは私達が無保険者と思ったらしく「私は大学の職員です」と伝え保険証を見せると「No problem!」と笑顔を見せてくれました。
 8月8日の午後8時、いよいよ陣痛が始まり私は妻を車にのせ、病院に向かって夜のハイウェイを走りました。「子供が生まれそうです」と伝えると、受付が「担当医は誰だ?」「保険は持っているか?」と聞いてきます。この病院にかかっているにも拘わらず、住所、氏名、Socicial security number、 職場、保険の種類などの情報を記載するapplication formを書かされます。このように受診する度にいちいち書類を書かなければならないのがアメリカ医療の特徴でもあります。意外にも情報を共有するシステムがないのです。日本のように病院の「診察券」など存在しません。どんどん陣痛が激しくなってきて、いよいよ分娩が始まりました。日本だと陣痛の周期にあわせて“いきむ”ように言われますが、ここでは周期に関係なくとにかく“Push! Push!”と激励されるだけです。いつ“いきんだらいいか”も分からないので、妻もこれには参ったらしいです。そして午後10時、無事男の子の赤ちゃんが生まれました。「Great! Perfect!」と、ナースは口をそろえて歓声を上げてくれました。 
 アメリカでは加入している保険会社によって受診できる医者に制限がかかります。日本とは違い、保険によっては妊婦でも最初から産婦人科にかかることさえできないのです。またエコー検査やレントゲンなども同じ病院や医院ではしてもらえず、院外の独立した検査会社に自分で電話予約をとり、自己責任で行わなければなりません。産婦人科医は自分でエコーすらしません。外来予約にしても受付で予約することはせず、その都度電話する必要があります。日本のように医者がご丁寧に電子カルテを開いて患者の都合を聞きながら予約をとることなんてありません。さらに日本のようなご丁寧な紹介状もありません。受診するたびに、病状、前医の診断、検査結果まですべて自己責任で担当医に伝える必要があります。アメリカ人の16%(6人に1人)は無保険者です。このような人は当然、熱が出ても医療機関にかかることはせず、安いアスピリンをドラッグストアで購入してしのいでいるのです。オバマ大統領は日本のような国民皆保険の導入を試みましたが、あえなく議会に反対されました。「働かない者の医療費になぜ税金を投入する必要があるのか?」そんな実力主義社会のアメリカ人の声が聞こえてくるようです。「アメリカ医療は世界一」とマスコミで報道されることが多いですが、その実態は惨憺たるものでした。それに比べ日本の医療は天国そのものです。いつでも、誰でも、かかりたい医者に、しかも安い自己負担で診てもらえる。検査も即日、同じ場所でしてもらえ、予約も医者にしてもらえます。紹介状も恐ろしく丁寧です。
 帰国後2年ぶりに臨床の現場に復帰してまず感じたことが、日本の医療がいかに恵まれているかということ、それにもかかわらず日本人は医療に過大な期待をもち、不満を訴える患者が少なくないということでした。夜間の救急外来のコンビニ受診も絶えません。 その後、私は「なぜ日本人はこうなってしまったのか」と考えることが多くなりました。これまで既に議論されているように医療訴訟の頻発やマスコミの煽動による医療不信、インターネットの発達による医療情報のグローバル化、マスコミによる先進医療の報道など様々な要因があるのかもしれません。
 私自身、曹洞宗の禅寺で生まれ育った観点から思うのが、「小欲知足」の精神の退化、そして宗教心の欠落やそれにともなう「死生観」の退化もまた、こうした医療に対する「飽くなき欲望と不満」に拍車をかけてはいまいかと思うのです。「人間は満たされれば満たされるほど強欲になり、その結果苦しみ続ける」というのは古典仏教の教えではありますが、戦後日本は「国民皆保険」の便利さと快適さにあまりに甘えすぎたのではないでしょうか。国民自身が医療費を無駄に浪費している場面も少なからずあるように思います。これほど優れた医療制度にもかかわらず日本人は本当に満足しているのでしょうか。もちろん世界に誇るべきこの制度を今後も維持していく必要があることには異論はありませんが、毎年1兆円ずつ膨らんでいく国の社会保障費の増大により国民皆保険も今や存亡の危機に瀕しています。政治家や行政ばかりに責任を押しつけるのは簡単ですが、我々としても日本人らしい「小欲知足」の精神に立ち返り、国民全体が医療に対する意識改革をするべきときではないかと思っている今日この頃です。
 
 ペンリレー <アメリカ出産体験記> から