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<ペンリレー>

発行日2012/01/10
えのきこどもクリニック  榎 真美子
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私の居場所~日本女医会のこと紹介させて下さい~
 
 秋田大学医学部の同期生である秋田赤十字病院耳鼻咽喉科木村洋元先生から、ペンリレーの紹介を戴きましたえのきこどもクリニック榎真美子と申します。声をかけて戴き、改めて同期生のありがたさを噛みしめております。木村先生、ありがとう!
 現在私は、夫が院長をするえのきこどもクリニックで診療を手伝い、また国立病院機構あきた病院で障害者医療に従事させて戴いております。産前産後以外は、診療だけは続けてきましたが、専門医も学位もないまま、立て続けに3人も出産してしまい、実母も早逝しており、子育て・家事に追われ、結局専門もないまま現在に至ります。元々小児外科医を夢見て挫折したので、小児科も系統だてて研修はしておりませんので、とても小児科医のお仲間に入れて戴くなんてことはできませんし、厚かましさだけで診療している次第です。研修医時代、小児科をローテーションしたときの上司が現在の夫で、家庭では「山ノ神」と呼ばれる私ですが、一旦診療となると、永遠に研修医です。1年目の研修医にとって、2年目の先輩は雲の上の存在でした。いわんや、科長先生は…。今でも、経験と知識の豊富さと診療の腕に関しては尊敬を通り越し、嫉妬心に日々苦しんでおります。このオーベン、私がミスをすると、声こそ荒げることはありませんが、凍りつくような冷たい視線を浴びせるのです。私は診療以外にも、家事・子育て・PTAなど雑用で、朝から晩まで髪振り乱し目が回る毎日を送っていることは百も承知のはずなのです。それでも全く容赦ないのです。そして、数か月間私は立ち直れず、もう医者なんか辞めようと悩み続けるのですが、「山ノ神」がくじける訳がないとでも思っているのか、家庭での諸々に対する静かな逆襲なのか、一言の慰めの言葉もないのです。たいしたもんです。学生時代の奨学金の返済が終わった時はすっぱり免許を返上しようと本気で思いました。「あなたはご主人が医者だから稼ぐ必要がない」と小児科の高位な先生におきまりのことばを言われた時は、医師不足でも使えない女性医師は要らないという本音をついに吐露したかと、力が抜けました。が、結局辞めずに現在に至るのは…
 私は、女子校への憧れを実現できなかったかわりにという理由で、大学卒業と同時に日本女医会に入会しました。男女平等が建前で現実は全く違うことを後戻り出来なくなってから気がついたこともあり、女性同志が励まし、助け合うことの必要性も感じておりました。当時は一面識もない日本女医会秋田支部の支部長をされていた金子ミサヲ先生から「入会してくれてありがとう」とわざわざお電話を戴き、それからというもの、いつも気にかけて戴いております。2004年東京で開催された国際女医会議に、金子先生、現支部長の秋山まり子先生とご一緒させて戴きました。40日連続真夏日という酷暑の夏でした。ホテルから一歩も出ない私を尻目に、金子先生はその健脚で銀ブラを楽しまれ、どこからそのパワーが湧いてくるのか本当に不思議に思ったものです。更に、そこでお会いした女性医師たちのパワー溢れることと言ったら!ミーハー根性が俄然始動し、「先生、素敵でした♡」と握手を求める始末。「あげる」と言って発表用CDを下さったのは当時仙台検疫所所長の岩崎恵美子先生。美智子皇后様がお祝いに来て下さり、そのお姿を直接拝見させて戴くという機会を得たのもこのときでした。妊娠8カ月でお腹の大きかった私に、「女の本当の仕事は子供を産んでからよ!」と、専門領域・国籍を超えて、多くの先輩が励ましのことばをかけて下さいました。秋田県の場合、別組織で「秋田県女医の会」が存在することもあり、女性医師の増えている現在でも日本女医会は会員数の多い組織ではありませんが、金子先生もおしゃってましたが、国際会議に参加して、その魅力を知ってしまうと、虜になるというのは本当でした。その後、2008年には、故吉本ミチ先生が、独自の活躍をもって女性の地位向上に著しい貢献をした方に与えられる荻野吟子賞を授与され、総会へ吉本先生、金子先生、高橋和子先生とご一緒させて戴いたことも忘れられません。この時も私は身重の妊娠7カ月。またまた、金子先生たちの健脚についてゆけませんでした。
 秋田には女子医専がありました。そのことも含め幾度か女医の歴史を知る機会がありました。そのたびに困難な道の先を歩いて下さることへの敬意と感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
 2004年国際女医会議で国連難民高等弁務官緒方貞子氏が講演された中の「生きてさえいれば彼らには次のチャンスが生まれるのです」という一節がありました。
 私から診療をとったら消えてなくなってしまいそうなのですが、これから先、ずっと医療に携わることが出来るのか実は不安で仕方ありません。でも、金子先生はじめ先輩がたが下さった居場所を大切にし、私が出来ること、私にしか出来ないことを続けていこうと思います。生きてさえいればいつか…という思いで、以前は患者さんにむかいましたが、今度は、自分にその言葉を向けて。
 日本女医会は、女医同志の親陸に留まらず、福祉の増進などの社会活動、国際交流・親善もその活動の目的としております。興味のある方はいつでもお知らせ下さい。
 次のペンリレーは、日本女医会秋田支部でお知り合いになれました白根病院小野寺佳奈先生にお願い致しました。
 
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