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<ペンリレー>

発行日2011/11/10
はしづめクリニック  橋爪 隆弘
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右手関節複雑骨折
 
 光り輝く渓流を歩き、滝を登り、花が咲き乱れる湿原でたたずみ、焚火を囲んで夜を過ごす。沢登りには通常の登山では味わえない世界がある。困難な場面では、自分たちの技術と知力のみが頼りであり、仲間と力を合わせて突破する。なによりも美しい自然の中に身を任せることにより、人間の五感が研ぎ澄まされる。生命の源が水と空気であること、人間は自然の力には逆らえないこと、原生林や水の美しさを実感できること、冒険心がくすぐられること、仲間との絆を確認できること、感謝の気持ちが生まれることなど魅力を挙げればきりがない。沢登りからは多くを学ぶことができるが、時として大自然と神の洗礼をまともに受け、致命的な事故が起こる。数年前友人のパーティが沢登りで死亡事故を経験し、それ以来彼は山から遠ざかってしまった。そして私は、平成22年7月右手首を複雑骨折してしまった。
 大手町日経ビルでの講習会が無事終了し、いつものように最終便で秋田に戻る。翌日がその夏では貴重な休日だった。天気図では太平洋高気圧が北日本まで張り出し、秋田県地方は好天が確実で、気温も30度近くまで上がるだろうと思われた。東京の仕事の後だけに新鮮な空気と山の水が恋しかった。午後10時自宅に戻った後、家内に山に行く許可をもらった。ただし複数で行くようにと言われ、山岳会のMさんと八幡平小和瀬川大沢に沢登りに行くことになった。出張帰りの身体にはいつもより疲れが残っているのが気になったが、沢登りの装備を準備しながら、初めての沢を遡行する期待と不安が胸をよぎった。
 林道の分岐に車を止め入渓する。八幡平の原生林から流れ出る沢の水は美しく、河原を歩くのは気持ち良かったが、ゴーロが続き最初の滝がなかなか出てこない。GPSで現在地を確認するとどうやら入渓地点を間違えずっと手前で沢に下りてしまったようだ。林道に戻るわけにもいかず、そのままゴーロ帯を歩いていた。仕方ないなあと思っていると、突然浮石に右足をとられバランスを崩し左側に倒れ左手をついてしまった。薬指に激痛がはしり指が曲がらない。どうやら捻挫したようだ。石にぶつけた左手の擦り傷から出血している。痛みをこらえながら歩きにくいゴーロをまた歩き出した。腕時計がないことに気がついたのはさらに時間がたってからだった。
 1時間ほど歩くと本来の入渓地点に到着した。ここまでに無駄な体力を消耗してしまったが、いよいよ本番である。滝から流れ落ちる水しぶきを浴びながら、3m、5m、8mの連続する滝をクリアする。どれも登りがいがある。しばらくして15mの2段の滝に出会う。ここはMさんのリードでザイルを出す。ザイルがあるとホールドしてもらえるので安心感が違う。フリーでは慎重に3点保持をしながら滝を登る。いくつもの滝を越え、空腹を感じたので大滝の上に出たところで小休止した。岩に腰かけると、目には鮮やかな森の緑、耳には沢の流れとブナハルゼミの合唱である。山は夏本番を迎えている。元気を少し取り戻し地図とGPSを確認しながら慎重にルートを進む。1060Mの二俣を右につめると次第に水が涸れ、猛烈なササやぶに突入することになった。ごぼう抜きで身体を持ち上げると目の前に熊のフンがある。今は気にしてはいられない。最後はGPSで確認しながら、13時30分大沢森のピークにたどり着いた。
 大沢森の看板には丁寧に熊の爪痕が刻んである。熊が縄張りを主張しているようで何故か感心してしまう。ここは彼らの生活圏である。完登した満足感に浸りながら下山支度にかかる。ハーネスは担ぐよりもそのまま装着していた方が荷物は重くないだろうと考えあえて外さなかった。下山には大白森へのルートをたどる。国土地理院の地図と実際のルートがずれているが、刈り払いがしてあり心配はなかった。999mピークからは急登のタケノコ道を下る。渓流靴での下山で大腿部がかなり疲れてきた。ハーネスがやや邪魔に思えたが、外すのが面倒でそのまま下山した。足元が見えないほどのつづら折りの下り道で、あと15分ほどで入渓地点と思ったその時、右足が木の根につまずき身体が宙に舞った。頭を打ってはいけないととっさに右腕を前に出し前転して受身をしようとしたが、着地の際に全体重とザックの重量が全て右前腕一本にかかってしまった。
「バキッ」
鈍い音がしたと同時に激痛が走った。とっさに右前腕を左手で押さえた。ザックを外そうと思ったがそのまま動けなかった。叫び声を聞いたMさんが駆け寄ってきた。
「大丈夫か」「駄目だ、折れた」「分かった」
近くの枝をもぎ取りシーネとした。ザックから取り出したテープでテーピングを行うと、やっと左手を右腕から離すことができ、肩から荷物を外した。切り裂いたタオル2本で肩からシーネをつるすと立ち上がることができた。幸い足腰は痛みを感じず、歩くことはできそうだ。荷物はMさんが背負ってくれるという。申し訳ないがどうにもならないので、お願いすることにした。入渓点までの下りは、太い杖をつきながら慎重に足を運んだ。明日から仕事ができなくなることや家族や同僚に申し訳ないと思いながら、目の前で大きな荷物を運んでいるMさんの後を必死に歩いた。
 秋田に向かう車内から携帯電話で骨折したことを家内に伝え、帰宅後の予定を相談した。自宅で着替えてから市立病院の救急外来を受診し、レントゲン写真で右手関節橈骨の骨折であること、偏位があることは直ぐにわかった。よく見ると尺骨にも骨片があった。捻挫だと思っていた左薬指は中手骨骨折であった。整形外科の当番医はテニス部後輩の野坂先生だった。
「休みなのに申し訳ない」「痛かったでしょう」
透視下で整復しギブスを巻いてもらうと痛みが少し軽くなった。彼からはプレートで固定する手術が必要であること、手術まではできるだけ患部は安静にする必要があることなどを丁寧に説明してくれた。
 自宅に戻り外科の佐藤勤先生に事情を説明し、休職中の代行をお願いした。厚労省研究班のメンバーには電話やメールで連絡し、その後のスケジュールは全てキャンセルした。6月の急性虫垂炎に続き7月も手術を受けることになり、家族には申し訳が立たなかった。
 7月20日午前の外来をすませてから整形外科病棟に入院し、夕方から同級生の木村善明先生に執刀してもらった。手術後、彼からチタン製のプレートに8本のボトルが打ち込んであるといいながらレントゲン写真をみせてもらった。当日夜は痛みがあったがそれでもよく眠れた。翌日には8階の個室に移動したが、身体は元気なのでギブスを巻いたまま外来業務をこなした。診察した患者さんは驚きながらも皆口をそろえて「お大事に」と言ってくれた。浮腫みも痛みもなく7月23日無事退院となった。その後も理学療法士の大島君のマッサージが功を奏したのか、木村先生の腕が良かったのか、幸いにして神経障害がのこらず、8月末には外科手術ができるまでに回復した。
 ここ数年は診療以外に多くの仕事をかかえ、迷惑をかけまいと思いながら全国を飛びまわっていた。ガイドライン委員や厚労省研究班の仕事からは多くの学びがあり、自分の財産になっている。しかし日常の診療と両立させるにはかなりきつかった。自分がディレクターである研修会は全国どこで開催されても、終わったら必ずその日の最終便に乗り継ぎ秋田に戻っていた。それでも時間が足りなかった。自分でも気付かないうちに限界を超えていたのだと思う。今回の怪我で家族だけでなく多くの方々に迷惑をかけてしまった。この場を借りてお詫びをしたい。また仕事をカバーしてくれた外科の同僚や研究班のメンバーにはあらためて感謝の意を伝えたい。
 沢登りはもっとも魅力的な登山である。しかし技術を伴わないで沢登りに行くことは危険であるし、準備を怠ると結局自分自身に跳ね返ってくる。まるで人生そのものなのかもしれない。
 
 ペンリレー <右手関節複雑骨折> から