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<ペンリレー>

発行日2011/06/10
山王整形外科医院  湊 貴至
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アイスホッケー
 
 私のアイスホッケーに対する思いを紹介させていただきたいと思います。
 私は中学、高校、大学とバレーボール部に所属しておりました。この中で、最もバレーボールに燃えていたのは高校の時でした。中学時代は練習の厳しさの方が印象にあり、同じ部活の友人と部活よりファミコンで遊ぶことに燃えていました。大学時代は入学式の後の部活勧誘で誘われ、乳頭温泉鶴の湯に連れて行ってもらったことと部員の人柄が良かったため入部しました。しかし、大学に入ってからのバレーボールは、技術的に新しいことは特になくあまり刺激がなく、それに対し部活以外の事に刺激が多く、車の免許を取ってからは体育館にいるより外に出て自由に遊びたかったので、部活はかえって面倒に感じるようになりました。大学4年の時、いつもの様に同級生とゲームセンターへ行きました。一緒にゲームをやって、「なんか最近楽しいことない?」と尋ねたところ、「ホッケーが楽しい」というので大変驚きました。その友人は山岳部でほとんどの日々はゲームセンターにいたのに、ホッケーって冗談だろうと思いました。
 それから数日後、クラスのアイスホッケー部の友人から、「今度ホッケーの試合があるけど人数が足りないから出てくれないか?」と誘われました。「ちょっと待って、(野球やサッカーならともかく)アイスホッケーって、おれやったことないんだけど。しかも試合なんて無理無理。応援になら行くよ」と答えました。その後、試合の応援に行った際、彼が「みなとー、人数足んないから出てくんない?防具とか靴とかあるから」と言うのです。あと30分後の試合。「ルールはゴールにパックを入れればいいだけ」と。そりゃーなんとなくわかるけど・・・。
 なぜか初めてのアイスホッケー体験が試合になってしまいました。試合が始まると、思った通りです。なんとか滑っても、曲がれない、止まれない、そして転びました。このとき、衝撃が・・・。あれ、ない!転んでも全く痛くないのです。防具のありがたさとすごさに感動しました。それからは思いっきり走っては止まれず転んで、パックを扱うはずのスティックはうまく使えず、サッカーみたいにパックを蹴ったりしながら夢中で走りました。
 その日、アイスホッケーのスピード感、身のこなしの難しさ、上手な人の滑り、他に敵に当たっていくスリルなどを体験して、すっかりアイスホッケーの魅力にやられました。クラスでもホッケーの面白さに惹かれた人たちが集まり、同級生でアイスホッケー部員が7名となりました。みんな初心者なので、早く思い通りに滑れるようになりたくて、授業もそこそこに日中から新人同士でスケート場に通い練習しました。何度も転びながらついに止まれるようになり、その次に足を交差して曲がれるようになり、その次は、憧れのバックスケーティングを体得しました。また、誰かが新しい滑り方を披露すると、じゃ俺も、と日々練習して急成長が目に見えてとても嬉しく、ますますアイスホッケーにのめりこみました。
 やがて卒業して医師になり、アイスホッケーとは縁遠い生活を送っていました。医師になって4年目に大学院に入学しました。その際に上司より、これから国際学会で発表する機会が出てくるから英会話に行くようにとアドバイスがあり、働くようになってから初めて英会話教室に行きました。そこでカナダ人の講師と出会いました。初めての授業で自己紹介した際のことです。趣味を聞かれ、「アイスホッケー」と答えると、そのカナダ人講師の目の色が輝き、「ハッキー?ハッキー?」と興奮気味に聞かれました。そのカナダ人講師はアイスホッケーが大好きで、秋田で英会話をやりながらアイスホッケーの社会人チームに入っており、今度一緒にホッケーをやろうと誘われました。秋田でホッケーをできると思っていなかったのでとても驚きました。しかも秋田は私の地元でもあるのに、なぜかカナダ人の案内で県立スケート場へ行くことになりました。
 スケート場では、全然職種の違う30代の人たちが中心にチームを作って練習していました。初めてホッケーの練習に参加させてもらったときは久しぶりに心が躍りました。しかし何回か通っているうち仕事も忙しくなり、県南への異動もあってホッケーには行けなくなりました。
 7年くらいホッケーを離れていたところ、ある赴任先で釣りに誘われました。夜に船に乗ってアジや鯛を釣るというので楽しみに行きました。同じ船に乗ったメンバーに偶然社会人チームのホッケー仲間がいました。7年ぶりの再会で、久しぶりにホッケーの話で盛り上がったのですが、赴任先から秋田市までは1時間半くらいかかり、しかもホッケーは冬がシーズンのため、雪道や路面が凍結した道路を往復3時間は厳しく断念していました。
 しかし、ホッケーと縁があるのか、その頃、中学時代の同級生の結婚式に呼ばれた際、別のホッケー仲間と出会いました。そこで、私の友人の友人が、私のホッケー仲間だったということを知り、その偶然にも大変驚きました。
 その後、秋田市に異動となりました。そのとき、秋大整形に札幌医大から先生が来ておりました。ある日、その札医の先生がアイスホッケーをやっていて、しかも奥さんはアイスホッケーのマネージャーだったことも聞きました。そんなホッケー好きな人が近くにいたとはと、このような偶然にも感動し、その年の冬、数年ぶりに社会人チームに行きました。そこには釣りで会った仲間や友人の結婚式で会った仲間もいて、一緒に行った札医の先生も仲間に加わり、とても楽しいメンバーで滑りました。練習が終わった後は体のあちこちが痛いのですが、仲の良いメンバーと思いっきり汗を流し、気持もスッキリしていて、やはりこういうのはいいなと実感しました。他のスポーツもそうだと思いますが、アイスホッケーは熱い人が集まってプレーしています。私はアイスホッケーを通してとても良い仲間と知り合えたことが何よりアイスホッケーをやっていて良かったなと思います。
 また、アイスホッケーは若いうちしかできない印象がありますが、私をホッケーの世界に誘ってくれた同級生のお父さんは70歳になっても現役でホッケーをやっていました。とても刺激的なスポーツで、私にとって素敵な出会いをもたらすアイスホッケー、これからも楽しみです。
 
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