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<ペンリレー>

発行日2011/03/10
介護老人保健施設男鹿の郷  小泉純一郎
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私の入所者―これからの日々と居場所―
 
 欲張ってサブタイトルを2つつけた。私、誕生日が来ると80歳。耳鼻咽喉科開業30年を経て、老健施設勤務7年目に入る。
 年賀状には余生と書きたくなくて、「これからの日々」とした。これには昨年末の魁新聞の「明日も花まるっ!」で、内舘牧子さんが「他人が余生というのはおこがましい」とフォローしてくれた。
 これからどう過ごすのか。施設の入所者に居場所を提供することを目標にしたい。居場所とは「その人が落ち着いて居られる場所」と国語辞典にある。
 私の職場の設立目的には、「一日でも早く家庭生活に戻れるよう支援する」と謳っている。しかし、去年の正月を自宅で過ごされた方は7名、お盆に帰られた方は10数名であった。残りの90人前後の方は、寝た切りに近かったり、帰りたくても受け入れられない家庭事情を持つ入所者である。そして、この方々は施設の半径百米足らずの居住空間で一年の大半を過ごすのである。ネオンや繁華と無縁の世界である。―良い居場所を与えたいと願っていた。そのキッカケとなった方々を代表して、
 Iさん、97歳。♀。或る日の夕食後、介護士が居室を訪れた時、ベッドでうなだれて「哀れだなア。子供、北海道さもどこさもいっぱい居るたって(註9人)オイはここに居るしかね。死ぬ迄もナ。面倒みてけれ」と両手を合わせたと介護記録にあった。
 私はこれを読んで、窮鳥が懐に入ったと思った。味方になりたいと思った。
 後日、この話をカンファレンスで述べたら各個人の事情を把握している看護部長は、「Iさんは遠方にいる子供を除いて、男鹿市に居る長男や三女は在宅でもいいと言っている。それを本人が“男鹿の郷”がいいと断っている。窮鳥ではありません。子供への配慮のある立派な親鳥です」と言った。
 気持ちを、「私“と”、Iさん」ではなく、「私“の”Iさん」と切り替えて接するようにしている。職員にも、「私と入所者」でなく「私の入所者」と思うよう呼びかけた。
 仕事の喜びも大きい。
 Tさん、100歳。心不全・前立腺癌・殿部パジェット癌。車椅子。5年前は「自分の足で歩きたい」と言っていたのに、此の頃は
「私はいつお迎えがきても良い」
「もう死んでもいい」
が口ぐせになってきた。前立腺癌のホルモン療法をしていたがPSAが上昇したので、薬を変えたところ、PSAが下がった。
「Tさん、検査結果良かったですよ。まだまだ、長生きしますよ」と耳元で大声で告げたら、Tさんが顔をくしゃくしゃにして喜んだ。その満面の笑みを見て、私の方が生きがいを貰った。「死にたい」が「生きてもいい」に変わったと思ったからだった。
 ところが先日、Sさん・♀・96歳。病名・たこつぼ型心筋症・心不全・直腸癌術後・糖尿病の方の介護記録に、午後のおやつの時「幸せだよなァ。寝て、食って、わりなァー」との言葉があった。不満どころか満足している方がいたのには虚をつかれた。生きがいや居場所を与えられているのは、逆に私の方なんだと反省した。つい健常者の目線から見ていて、「居場所を与えたい」と思った自分が恥ずかしかった。

 蛇足1。新年に行われた市医師会主催の喜寿のお祝いの案内状に「ご高齢の先生方の長寿も一緒にお祝い申し上げる」とあった。
 平均年齢87歳の多くの入所者を見ている私としては「高齢で長寿」だから祝うと書かれるより、「喜寿を超えて尚お元気な先生方もお祝いする」としたほうが、より嬉しかった。
 蛇足2。欲を言えば、川反にも居場所を一寸だけ増やしたい。

 次は、小・中・高の同期生、進藤和夫先生にバトンタッチ。
 
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