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<ペンリレー>

発行日2010/07/10
市立秋田総合病院  中川 正康
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らしくない仕事をするはめに・・・-“鬼”が“招き猫”?-
 
はじめに
 某日午後、医局のコンピューター室で研修医講習会の資料を印刷していると、呼吸器内科の伊藤伸朗先生がいつにない微笑を浮かべて私に声をかけてきました。こういう時はとかく良い話ではないですが、案の定彼の口から発せられたのは次のペンリレーの執筆依頼でした。当然固辞すべき話だったのですが、彼がペンリレーを書いたことへの驚きと何故私にリレーを?という疑問で平常心を失い、ついつい了承してしまいました。学生実習、研修医の講習会・勉強会、学会・研究会が重なり、ただでも多忙を極めるこの時期に、引き受けた軽率さを改めて悔いながらこの原稿を書いています…。

現在の医師臨床研修制度
 御存知のように、平成16年より現在の初期臨床研修制度が始まりました。これにより、それまでの卒後大学の医局に入局し研修するという従来のパターンがなくなり、県内でも大学病院以外の研修病院での初期研修が過半数を占めるようになりました。秋田県の初期研修医数は総定員の5~6割程度のため、ごくわずかの研修病院を除いては完全に売り手市場で、学生はほぼ希望した病院で研修できる状況となりました。当院はそれまで多くの科で大学の医局から研修医を派遣して頂いておりましたが、今度は自前で研修医を獲得しなければならなくなりました。しかし当院全体に危機感や種々の情報が欠けていた部分があり、5年間のうち2年間は研修医が皆無という憂き目に会ってしまいました。2年前の秋、小松副院長から突然研修医担当を命ぜられました。当然「俺が?」という当惑は禁じ得ませんでした。

市立病院の“鬼”科長…
 平成7年に当院に赴任した当初から、秋田大学第二内科より研修医を含む若い医師を派遣して頂いております。当院への勤務を命ぜられた医師は皆、医局の先輩たちから「市立病院には背が高く、眼がでかくて、声もでかい、こわいこわい科長がいるから覚悟して行くように。」と泣きたくなるような申し送りというか宣告を受けて当院に来ました。そして噂に違わない厳しい状況で研修を行ったと思います。今時の「褒めて育てる」なんてやり方とは真逆も真逆。そんな“鬼”みたいな奴に“広告塔”?“招き猫”?そりゃ無理、って言うか人選ミス!誰しもそう思ったんじゃないかと思います。
 医局制度全盛期の時代にも学生の勧誘はありました。私の所属した医局には2学年下に勧誘係の鑑と言うべき逸材の長谷川仁志先生(現秋田大学医学部地域医療推進学講座教授)がおりましたので、我々がその役目を課せられることはほとんどありませんでした。むしろ「変な奴を勧誘するんじゃねえぞ!」なんて悪態をついていた輩でした。ですから私にとっては本当に厄介な仕事を引き受けたという訳です。

学生が勘違いするのも当然?
 この臨床研修制度自体の是非はともかくとして、これが秋田のような田舎の医師不足にトドメを刺したのはまぎれもない事実です。その現状を打破すべく、大学の医局も各研修病院も医師や研修医の獲得に必死です。大学では教授自ら、研修病院では院長や副院長が直接学生を勧誘するような時代になってしまいました。そんな風にされたら「自分は金の卵?」なんて勘違いする学生が後を絶たないのも無理のない話です。上から目線で「この病院の研修システムは…」などと抜かしやがります。医師になって20年以上も経ってから学生にそんな口を叩かれる日々に、怒りを通り越して絶望感を抱き続けていました。何とか手を上げるなどという暴挙に至ることなく今日を迎えておりますが、最近では彼らも被害者じゃないかと思うようになりました。少なくとも今の学生や研修医が我々の時代よりも幸せには思えません。そう気づいてからは彼らに、「馬鹿な勘違いするんじゃねえぞ。」と穏やかに言ってやれるようになりました。わかってくれる研修医や学生もいてくれるような気がします。

指導医は大変
 新制度になっていきなり「指導医」なんかにさせられた各研修病院の医師たちは本当に大変です。人手不足は悪化しているのに、教育や指導と言った仕事も増え続けます。今の研修制度を野球に例えれば、朝一番にグランドをならしてラインを引いて練習の準備をするのは指導医か後期研修医。初期研修医は準備が出来たところで登場し、球拾いはせずにいきなり打撃の指導を受ける。で、自分の練習が終わったら後片付けもせずに帰宅。しかも進路はサッカー選手…。こういう状況でモチベーションを維持して指導できるのは本当に人格者です。この制度が始まった当初は、そのシステムや現状を理解できず不平・不満ばかりの指導医も少なくありませんでしたが、この数年間で驚くほどの変貌を見せています。指導医たちは耐え難きを耐え進化・成長しています。研修医たちには「他人にしてもらうことを当たり前だなんて思うな。」と事あるごとに言っています。

と言いつつもやりがいを感じる時
 この仕事を始めてから、毎日のように研修医や学生たちと話をしています。未だに今時の若者像を決して好きになんかなれませんし、ガッカリすることも日常茶飯事の日々です。現役生の初期研修医1年目は25歳、私は今年50歳、もう親子でもおかしくない年齢差ですから無理もないことかもしれません。でもふとした時に、「こいつらも捨てたもんじゃねえな。」と思える時があります。また私の思い込みかもしれませんが、私の正義や善悪の価値観に共感してくれてるのかなと感じることもあります。我々の世代がいくら頑張っても、一線の医療現場を支えられるのはせいぜいあと10年ちょっとだと思います。その時、秋田の医療、日本の医療を担うのは今の研修医たちです。「お前らが一人前にならないと安心して病気にもなれない。」冗談交じりに研修医たちによく言いますが、最近本気でそう思っています。

おわりに
 この原稿も文句を言いつつも長々と書いてしまいました。拙い文章で本当に申し訳ございません。こんなかわいげのない後輩を見捨てることなく、20年以上に亘って御指導頂いているきびら内科クリニック鬼平聡先生にバトンを渡し、この稿を終えたいと思います。



 
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