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<ペンリレー>

発行日2010/04/10
早川眼科伊奈皮ふ科医院  伊奈 美枝子
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二階のあの部屋
 
 私の実家には、「二階のあの部屋」と呼ばれる開かずの間があった。衣替えのたびに母が自分の洋服をしまっているのは知っていたが、他に何が入っているかは誰も忘れてしまった状態だった。だいたい6畳間ぐらいの部屋だが、私の記憶では20年前にはほぼ満杯となり、手前のほんのわずかなスペースを母が使用していた。母も十数年前に他界したので、それ以降家族でその部屋の扉を開けた者は誰もいなかった。面倒な片付けに巻き込まれたくない気持から、ドアノブに手をかけることをしようとしなかったのだ。
 しかし、とうとう扉をあける日がやってきた。夫が実家で開業することになり、住居と診療所を大改装することになったのだ。当然その部屋も改修の対象となった。そして扉は開けられた。ホコリまみれの段ボール箱が隙間なくつまれ、ところどころから折れたブラインドとか、壊れた電気スタンドとか、何に使うかわからないポールがつきだしていた。夫は段ボールの山を見て呆然としていた。
 とにかく着工の日は迫っていたので、一家総出で片づけを始めた。母の衣類をよせると、一番手前に置いてあるものは高校時代に愛用した鞄などであった。これは二十数年前のもので、部屋が満杯になったと記憶している時期と一致していた。それぞれが不要な物をただ詰め込んでいき、一度も整理をしなかったとみえて、物は手前から新しい年代順に並んでいた。私の名前が書いてある段ボール箱を開けていくと、だいたい学年ごとに整理したものが詰め込まれていた。
 それぞれの箱が、まるでタイムカプセルのようなものになっていた。愛用した雑貨や衣類を見て、夢あふれていた青春時代を思い出したり、純粋だった小学校時代を思い出して、胸がキュンとなったりした。しかし、すでに過去に葬り去ったと思っていた私の下手な絵や、意味不明で先生にバツをつけられた作文まで出てきた。もちろん片づけは夫にも手伝ってもらっていたので、恥ずかしい品々は夫の目に触れることとなった。いままで必死に隠してきた私の過去を知った夫は「よく進学をしたね。」と嫌味を言い、私は返す言葉もなかった。
 当然だが部屋の中身はほとんど不用品だったので、思いのほか片付けは順調にすすみ、とうとう一番奥にたどり着いた。そこにあったのは、私が小学校低学年の頃に着ていた衣類と、その頃使っていた木の小さな椅子だった。ちょうど父が診療所を新築し、その部屋ができたころのものだった。
 改修も終わり、「開かずの間」は毎日人が出入りする「生きた部屋」に生まれ変わった。私や実家の家族の歴史がごっそりと詰まった部屋がなくなってしまったのはなんだかとてもさみしいが、その部屋が我が家の新たなる出発を象徴しているようで、中にいると気持ちも引き締まる。やっぱり片づけてよかった。そして、私の過去を知った夫は、子供の教育に力を入れるようになった。それもよかったかな。
 
 ペンリレー <二階のあの部屋> から